源義業
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源 義業(みなもと の よしなり)は平安時代後期の河内源氏の流れを汲む常陸源氏の武将。源義光の嫡男。佐竹氏の祖。佐竹義業とも呼ばれる。
佐竹氏を称したのは子の昌義であるが、実質的な佐竹氏初代。父・義光を助け、源義光流の発展に寄与した。
承暦元(1067年) 源義光の嫡男として誕生。寛治元年(1087年)、 義光が後三年の役に参戦し、官職を解任される。嘉承元年(1106年)、 父とともに、従兄の源義国と関東において合戦をする。天仁2年(1109年) 、 義弟(妻の弟)鹿島三郎成幹が源氏の棟梁で従兄の源義忠を暗殺する。元永元年(1118年)、 孫で佐竹氏二代となる佐竹隆義が生まれる。長承2年(1133年) 病没。
常陸源氏の創生
義業がこの地に勢力を据えることができた理由は、母および彼の妻がこの地の有力豪族、常陸平氏の吉田清幹(成幹の父)の娘であったことによる。義業と清幹の娘との間に生まれた昌義が佐竹氏の初代となる。
佐竹氏の由来は常陸国久慈郡佐竹郷(現在の茨城県常陸太田市)に本拠を構えたことによる。