波多野晴通

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波多野 晴通(はたの はるみち、生年未詳 - 永禄3年(1560年))は、戦国時代丹波国大名波多野氏当主。波多野稙通の嫡男。子に波多野秀治波多野秀尚がいる。将軍足利義晴から偏諱を賜り晴通と名乗る。別名(通称)は与兵衛。

生涯

丹波国の大名・波多野稙通の嫡男として誕生。父・稙通は丹波一国を統一し、三好長慶に娘を娶らせて友好関係を保つなど優れた武将であったが、晴通は暗愚だったといわれている。

天文17年(1548年)、長慶が波多野氏の娘と離縁したため、細川晴元と結び三好氏と対立した。八上城に籠城して数度の撃退には成功したものの次第に三好氏の侵攻されるようになった。最終的には松永久秀とその弟で丹波守護代内藤氏を継いだ松永長頼に侵攻され、1555年に降伏した。

永禄3年(1560年)、死去。

参考文献

  • 渡邊大門「波多野氏の丹波国支配をめぐって―天文・永禄年間を中心に―」(『鷹陵史学』37号、2011年)