池内恵
テンプレート:Amboxテンプレート:DMC 池内 恵(いけうち さとし、1973年9月24日 - )は、東京都出身のアラブ研究者、東京大学先端科学技術研究センター准教授。専門は、イスラム政治思想。
処女作である『現代アラブの社会思想』において、現代のアラブの思想家たち(及びその影響を受ける若者たち)が、当初期待をかけていたマルクス主義が破産したことからイスラム原理主義に傾斜していくさまを描写。大佛次郎論壇賞を受賞する。続く著書『アラブ政治の今を読む』において、下記に記すように、日本のイスラーム研究学界の抱える性質に批判を行う。
近年は、井筒俊彦のイスラーム解釈の日本的偏向について研究している。
目次
主張
ズィンミー制度に関して
イスラームの暴力的な側面に関して極めて批判的である。従来親イスラーム的学者たちによって擁護・賞賛されることの多かった[1]ズィンミー制度の本質を「異教徒に対する苛烈な差別、蔑視」と厳しく指摘し、現代においてはその有効性はすでに失われていると主張している[2][3]。
これに関して池内は、日本の研究者の多くは鈴木董のオスマン帝国におけるズィンミー制度の研究成果と見解を都合の良いよう不適切に引用し、ズィンミー制度に高すぎる評価を下しているとしている[4]。
またイスラーム教徒の一部に今なお残存するズィンミー制度適用への願望と、その優越性を主張する論理に対しては、『前近代の極端に宗教的に不寛容な時代、その中でも中世キリスト教世界との比較を中心としてイスラーム的寛容の優越性を主張しており、近現代の政教分離思想との比較に関しては政教分離すなわち反宗教主義と決め付け、文化多元主義・宗教間対話・宗教多元主義などは考慮に入れていない』とその穴を強く批判している[5]。
日本のイスラーム研究に関して
日本のイスラーム研究は「イスラーム思想やイスラーム世界を過度に理想化」[6]しており、「イスラーム的共存や寛容の存在とその優越性は、具体的事例が示されないまま、ほとんど自明のものとされている」[7]として批判を行っている。
ジハードに関して
更にイスラーム共同体による過去の征服の過程の殺戮を「正しい宗教の拡大のためにおこなった正しい行い」として全面的に正当化し、他の宗教・思想のそれは批判するという一部のムスリムの思想に対しても批判を加えている[8]。
批判と評価
池内の主張に対してはイスラム教徒全てが前時代的考えを持っていないにもかかわらず、イスラムをステレオタイプ化して批判しているという評価や、日本のイスラーム研究は決して池内が言うように親イスラームに偏ってはいないという批判もある。
塩尻和子は、池内のイスラーム批判は、クルアーンの中の一部の暴力的な文言だけを取り出し、イスラーム世界の現実において展開された諸宗教の共存や、聖書の中の暴力的文言を無視した不当なものであると批判している[9]。
中田考は、池内がクルアーンの中の暴力的な文言やイスラーム法の異教徒差別の文言や現実に展開されたズィンミー制度をついてイスラーム批判を行うことから、『イスラームは非暴力と平和の宗教』というような、宗教和解を演出するためのウラマーの言葉に対して[10]、『こういう権力の犬の茶坊主どもの空念仏を野放しにしてきたので、池内如きに乗じられるはめになるのだ』と述べている[11][12]。
学歴
- 1992年3月 - 東京都立国立高等学校卒業
- 1996年3月 - 東京大学文学部思想文化学科イスラム学専修課程卒業
- 1998年3月 - 東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修士課程修了
- 2001年3月 - 東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学
職歴
- 2001年4月 - 日本貿易振興会アジア経済研究所研究員
- 2003年10月 - 日本貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター研究員
- 2004年4月 - 国際日本文化研究センター助教授
- 2007年4月 - 国際日本文化研究センター准教授
- 2007年12月 - 2008年3月 - アレクサンドリア大学客員教授(エジプト)
- 2008年10月-東大先端科学技術研究センター准教授
- 2009年10月-12月 ウッドロー・ウィルソン・センター研究員(Japan Scholar)
- 2010年4月- ケンブリッジ大学クレアホール客員フェロー・ケンブリッジ大学政治国際学部客員研究員
受賞歴
著書
- 『現代アラブの社会思想――終末論とイスラーム主義』(講談社現代新書、2002年)
- 『アラブ政治の今を読む』(中央公論新社、2004年)
- 『書物の運命』(文藝春秋、2006年)
- 『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2008年)
- 『中東 危機の震源を読む』(新潮選書、2009年)
翻訳
その他
- 「中東の眼 世界の眼」(ウェブマガジン「WEDGE Infinity」)
- 「中東─危機の震源を読む」(「フォーサイト」ウェブ版)
参照
- ↑ 『アラブ政治の今を読む』p.214、池内によればこのような風潮は日本のイスラーム研究の多数派であるとしている
- ↑ 『アラブ政治の今を読む』pp.213-215、pp.225-227
- ↑ 塩尻和子「イスラームの教義は暴力を容認するのか(1)」『中東協力センターニュース』30巻1号(2005年・PDFファイル)、池内の著書からの引用を参照
- ↑ 『アラブ政治の今を読む』p.210、p.214
- ↑ 『アラブ政治の今を読む』p.226
- ↑ 『アラブ政治の今を読む』p.198
- ↑ 『アラブ政治の今を読む』p.198
- ↑ 『アラブ政治の今を読む』pp.226-227
- ↑ 塩尻和子「イスラームの教義は暴力を容認するのか(2)」『中東協力センターニュース』30巻2号(2005年・PDFファイル)。 ここで塩尻は池内の意見はイスラームの暴力的側面を過度に強調していると主張している
- ↑ 「イスラム教は非暴力と平和の宗教」世界宗教者平和会議でメッセージ 産経新聞2010年9月23日
- ↑ HASSANKONAKATA 9月24日付
- ↑ kotoito9月24日付