水野忠啓

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水野 忠啓(みずの ただあき)は、江戸時代末期の紀伊新宮藩の第8代当主。

第7代当主・水野忠実の長男・水野範明の長男。母は松平正温の娘。

文化3年(1806年)2月15日、父・範明の死去により、祖父・忠実の嫡孫となる。文化9年9月15日、将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月15日、従五位下対馬守に叙任する。文政5年(1822年)4月25日、祖父・忠実により、家督を継いだ。天保6年(1835年)8月16日、子の忠央に家督を譲って隠居し、嘉永元年10月6日に死去した。享年54。

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