森田組

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森田組(もりたぐみ)は、大阪市天王寺区に本拠を置く日本暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の2次団体[1]

略歴

昭和59年(1984年)6月5日午後3時、山口組直系組長会で、山口組若頭・竹中正久は、山口組四代目組長就任の挨拶をした。山口組組長代行・山本広を支持する直系組長は、直系組長会に出席しなかった。

同日、大阪市東区の松美会事務所で、山本広、加茂田組加茂田重政組長、佐々木組佐々木道雄組長、溝橋組溝橋正夫組長、北山組北山悟組長、松美会松本勝美会長、小田秀組小田秀臣組長ら約20人が、在阪のマスコミ各社を呼んで、記者会見を開き、竹中正久の山口組四代目就任に反対した。

同年6月6日、竹中正久の山口組四代目就任に反対する山口組直系組長は、山口組の山菱の代紋を、組事務所から外した。この段階で、山口組参加者は直系組長42人で総組員数4690人、竹中の四代目就任に反対する者は直系組長34人で総組員数6021人だった。

その後、小田秀臣はヤクザから引退した。

同年7月、小田秀組本部長・森田昌夫(森田組組長)は、竹中正久から盃をもらい、山口組直参となった[2]

平成19年(2007年)6月5日、山口組定例会で、森田昌夫の引退と、堀組堀義春組長の引退と、二代目稲葉一家島村國光総長の引退及び二代目稲葉一家若頭・田中三次の稲葉一家三代目継承と田中三次の山口組直参昇格、山口組舎弟頭・野上哲男の山口組最高顧問への就任とが発表された[3]

最高幹部

  • 組長・森田昌夫(六代目山口組若中、旧小田秀組本部長)

脚注

  1. 出典は、溝口敦『山口組ドキュメント 五代目山口組』三一書房、1990年、ISBN 4-380-90223-4の「五代目山口組本家組織図」
  2. 出典は、『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6のP.41~P.42
  3. 出典は、『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6のP.38とP.43

参考文献