伊予鉄道森松線

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営業当時の森松駅(1930年頃)

森松線(もりまつせん)は、かつて愛媛県松山市の伊予立花駅(現・いよ立花駅)から森松駅までを結んでいた伊予鉄道鉄道路線である。

国道33号線沿いに重信川北岸を通る路線であった。椿祭り開催日には、臨時列車も運転されていた。乗客の減少により、1965年(昭和40年)12月1日に廃止され、跡地は国道33号線の拡幅用地になった。

廃止時の路線データ

運行形態

廃止直前時にはおおむね1時間に1本程度。『伊予鉄道百年史』に記されたところによれば、廃止が検討されたときのデータとして、伊予立花から上り松山市方向に向かう乗客が1日1,100名程度で、そのうち850名は朝ラッシュ時の利用だったとのこと。さらにその大半が定期旅客で、日中は空気輸送状態だったようである。その時代から、既に平行する国道33号線には10 - 15分間隔で国鉄バス松山高知急行線)も含めてバスが運行されており、乗客の大半はそちらを利用していたこともあって、バス移管が決定された。

廃止直後約1年間、森松線定期旅客への移行措置としてバス定期の割引が行われた。 テンプレート:節stub

歴史

駅一覧

伊予立花駅 - 石井駅 - 森松駅

接続路線

廃線後の状況

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現在の伊予鉄バス森松営業所

廃線直後に行われた国道33号線の拡幅改良工事やその後の旧沿線の発展に伴って、終点および起点付近を除きほとんどの遺構は残されていない。

廃線後、沿線およびその延長上である砥部町が松山市のベッドタウンとして大きく発展。さらに、1979年(昭和54年)に愛媛県総合運動公園陸上競技場(ニンジニアスタジアム。愛媛FCのホームスタジアム)、1988年(昭和63年)にはとべ動物園といった大型集客施設が建設された。これらの要因により、国道33号線の渋滞は激化の一途をたどっていった。そして、これに拍車をかけるように1997年(平成9年)には松山自動車道松山インターチェンジが開通。国道33号線は廃線区間とほぼ一致する天山交差点から拾町交差点にかけて連日大渋滞を引き起こしている。

代替輸送機関とされた路線バス(立花駅前 - 森松間[5])については、現在でも伊予鉄道自動車部とJR四国バス(国鉄バスの路線を継承)によって平日上り74本・下り70本の運行(約10分間隔)がなされている。これは、伊予鉄道の北条線や空港線、10番線などと並んで四国地区で最も高頻度運行が行われているバス路線(区間)のひとつとなっており、運行時間帯も6時台 - 23時台[6]と、利便性は高い。

しかしながら、先述した渋滞などにより、ラッシュ時間帯を中心に定時運行を行うのは難しくなっているのが実情であり、オムニバスタウン事業による施策のひとつとして、公共車両優先システムの導入をしているものの、抜本的な解決には至っていない。

このようなことを背景に、森松線を復活させ砥部まで普通鉄道LRTで延伸するという構想があるものの、予算などの都合で具体化はしていない[7]

脚注

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関連項目

テンプレート:伊予鉄道の路線
  1. 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  2. 官報では8月3日「私設鉄道敷設免許状下付」『官報』1894年8月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. 「運輸開業免許状下付」『官報』1896年2月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. 『五十年史』p.177(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  5. 伊予鉄道自動車部の停留所名。ジェイアール四国バスでは、それぞれ伊予鉄立花駅前・森松本町となる。
  6. 23時台に運行されるのはナイトバスのみ。運行日以外は、22時台までの運行となる。
  7. 知事に寄せられた提言(20年6月) - 愛媛県