柳沢剛
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テンプレート:基礎情報 アナウンサー 柳沢 剛(やなぎさわ つよし、1963年8月18日[1][2] - )は、仙台放送のアナウンサー。
来歴・人物
群馬県[2]高崎市[1][3]出身。東京農業大学第二高等学校卒業後[1]、早稲田予備校を経て[1]、駒澤大学[2]法学部政治学科[1][3]を卒業。1987年に仙台放送へ入社[1][3]。
2007年夏にアナウンス部を離れ、制作部へ異動していたが、2010年3月にアナウンス部へ復帰している[4]。復帰以降は、アナウンス部管理業務も行っている[2]。
2011年3月11日の東日本大震災のその瞬間は会議で東京。交通網が混乱する中、ヘリコプターで東北の各市町村の細かな空撮リポートをしながら仙台に戻ってきた[5]。
出演番組
- 好きやねん(1990年代)
- 空飛ぶ○月のペンギン(1990年代) - 好きやねんが新聞のラテ欄で最終回と間違って掲載されたのを受け、時間も内容もそのままタイトルだけが変わった。(○にはその月が入る。8月なら、空飛ぶ8月のペンギンとなる)
- スーパーSATマイルド(1993年4月3日 - 1994年9月24日)
- 夕やけTV編集局(1990年代)[6]
- ヨジテレビ!(2000年代)[7]
- めざましテレビ[1][8]
- FNSの日テレビ夢列島~27時間テレビ中継[8]
- 内閣府震災復興番組「ともに希望を!」[2]
脚注
関連項目
外部リンク
- 柳沢剛
- 過去のプロフィールページ保存キャッシュ一覧(インターネットアーカイブより)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1997年当時、仙台放送サイト内に掲載されたプロフィール - インターネットアーカイブ1997年6月1日付保存キャッシュより。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 テンプレート:Cite web
- ↑ 3.0 3.1 3.2 2007年当時、仙台放送サイト内に掲載されたプロフィール - インターネットアーカイブ2007年1月18日付保存キャッシュより。
- ↑ 春 - 仙台放送ウェブサイト内ブログ2010年4月30日付エントリ。「2年半前まで20年間アナウンサーをやり、一昨年の夏に制作部に移動、約900日間テレビの違う側面を勉強?この3月にアナウンス部に帰ってきました。」との記述あり。
- ↑ 笠井信輔著『僕はしゃべるためにここへ来た』(2011年10月27日発売、産経新聞出版発行。コード:ISBN 9784819111447)P88より。
- ↑ 「地元の情報たっぷり 仙台放送 26日から「夕やけTV編集局」」『河北新報』平成6年(1994年)9月8日付夕刊8面。
- ↑ 「日替わりの新コーナー登場 ドキドキ感 前面に 「ヨジテレビ」がリニューアル」『河北新報』2006年(平成18年)4月11日付夕刊7面。
- ↑ 8.0 8.1 オリコン芸能人事典