松平伊忠
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松平 伊忠(まつだいら これただ)は、戦国時代の武将。松平好景の長男。子に『家忠日記』を著した松平家忠がいる。
生涯
三河出身の徳川氏譜代の家臣で、善明堤の戦いでは上野城遠征中に難を逃れ、深溝松平家の3代目を継いだ。
永禄6年(1563年)、武田信玄の軍勢が長沢城に攻めてきたが、小競り合いということもあって伊忠はこれを撃退している。その後も三河一向一揆鎮圧、掛川城攻略戦、姉川の戦い、三方ヶ原の戦いなど主要な合戦へはいずれも参戦、家康初期の功臣として武功には目覚しいものがあった。
天正3年(1575年)5月の長篠の戦いにも参戦した。同月20日の夜、織田信長の命を受けた酒井忠次が率いる別働隊の一翼を担い、夜陰に乗じて鳶ヶ巣山の攻略に向かった。翌21日早朝、敵将・武田信実(信玄の弟)を討ち取るという功績を挙げる。しかし、引き続き行われた残敵追撃戦で前線に出過ぎたために、退却する武田軍の小山田昌行から猛反撃を受けて戦死した。享年39。なお、伊忠が討たれたと思われる愛知県新城市有海に墓碑がある。