東日本医科学生総合体育大会
東日本医科学生総合体育大会(ひがしにほんいかがくせいそうごうたいいくたいかい、東医体(とういたい))は、東日本[1]のほとんどの医学部が参加する医学生のスポーツの祭典である。
対応して、西日本[2]では「西日本医科学生総合体育大会(西医体)」が開催されており、競技によっては東医体の優勝校が西医体の優勝校と対戦して全国一を決定する、「全日本医科学生体育大会王座決定戦(全医体)」が行われる。
概要
毎年行われ、2011年は第54回となる[3]。1957年(昭和32年)に慶應義塾大学医学部の学生が中心となり、当時6年生であった芦刈宏之(ニューヨーク医科大学教授)を委員長として始められた[4]。
東医体には、東日本の大学の医学部から約14,000名の医学生が集まり、日本国内で行われる体育大会としては、国民体育大会(国体)と西医体に次ぐ第3位の規模となっている。2010年の開催実績では参加36校、競技種目は23種であった。
日本国内では国体、西日本医科学生総合体育大会に次ぐ参加者数を誇る。(約14,000人) 2010年の大会では36校の医学部が参加し、23種の競技が開催された。ほとんどの競技は夏に行われるが、スキーとアイスホッケーだけは冬の開催となる。なお、かつてはラグビーも冬に行われていた。
医学部の運動部にとって東医体はもっとも重要、かつ由緒ある大会であり、ここでの活躍は学内での部の立場を左右するほどである。医学部の指導教官もかつては医学生として東医体に関与したことのあるものがほとんどであり、東医体の期間に重なっては講義や実習は設定されないことが普通である。
医学生は練習に割く時間に限りがある上、6年制なため一般大学とは幹部学年・引退学年にずれがあるなど、一般大学と試合するには困難を伴う。 それに加えて、決して多いとは言えない医学生の間での交流を深める意味もあって開催されている。
一部の競技では、優勝校が西日本の優勝校と王座を争って対戦する。これが全日本医科学生体育大会王座決定戦(全医体)である。
主管
東医体には名目上では東日本医科学生体育連盟という組織が存在するが、事務局などといった組織運営は行なわれていない。 毎年、参加する医学部のひとつが主管校と呼ばれる回り持ちの責任者となって主催してきた。 各競技の主催は主管校のそれぞれの運動部が担当し、主管校に該当クラブがない競技のみ他校に移管して主催するという形である。
しかし、主管校にとっての負担が大きすぎるという問題から1996年より36校を9つのグループに分けて4校が共同主管するという形態に改められた。