東岩瀬駅
東岩瀬駅(ひがしいわせえき)は、富山県富山市岩瀬御蔵町255番地にある富山ライトレール富山港線の駅である。
駅構造
現在
変則的な相対式ホーム2面1線の地上駅で、御蔵町踏切を基準にして北西側に下り用1番線が、南東側に上り用2番線が設置されている。
1 | ■富山港線 | 岩瀬浜方面 |
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2 | ■富山港線 | 蓮町・城川原・越中中島・富山駅北方面 |
1番線は背後に県道の歩道が迫る狭い空間に立地しており、2番線は背後にマンション駐車場の壁がある狭い空間に立地している。線路はほぼ南北に走っている。富岩鉄道の駅として開業した当初からの駅舎は、立地上、新ホーム設置の際に解体する必要がなく、運営移管後も保存されており、改修工事を終えた2007年2月8日から、休憩施設や観光ボランティアの待機場所として利用されている。駅舎内は大幅に改修されており、事務室などは撤去され、新たに公衆トイレが設置されている。また旧ホームについては、旧駅舎に差し掛かっている区間だけが保存された。
JR西日本時代
単式ホーム1面1線をもつ地上駅であった。ホームは線路の西側にあった。
ホームの競輪場前方の端に接して駅舎があり、ホームと駅舎との間には数段の階段があった。この駅舎は一階建て、瓦葺の木造建築で、開業当初からのものとなっていた。駅舎内部には駅事務室と待合所があり、待合所には出札口なども存在していたが、無人駅であったので、駅事務室は普段使われず窓口もシャッターが下ろされたままであった。
当駅には自動券売機等も設置されておらず、当駅で乗車券を購入するのは不可能であった。
JR時代末期の所在地は、富山県富山市西宮字中稲割256番地であった。
国鉄時代
旅客本線の東側に待避線があり、両線とも西側に単式ホームを持つ2面2線(見かけは一部3面2線)の地上駅で、貨車の留置や電車の行き違いが行なわれていた。この待避線は、ホーム北側の御蔵町踏切を過ぎた地点で分岐しており、一方は旅客本線に合流していた。もう一方は専用線で、東にカーブしてから大平洋ランダム(旧・大平洋金属)岩瀬工場を通り、富山競輪場裏の倉庫まで続いていた。また小駅ながらも有人駅で売店もあった。
待避線と専用線と売店は国鉄末期に撤去され、遊休化した敷地は後に売却されたが、待避線のホームは、2010年8月時点でも一部が撤去されずに残っている。
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JR時代の東岩瀬駅
(2005年10月撮影) - HigashiiwaseSt.jpg
JR時代、最後の冬
(2005年12月撮影) - Higashi-Iwase St2009328.jpg
旧ホーム
(2009年3月撮影)
駅周辺
西日本旅客鉄道(JR西日本)運営時、隣駅の大広田駅との距離は450mで、JR全線中最も駅間距離が短かった。しかし、2006年2月末でJR線としては廃止となり、この記録は境線博労町駅〜富士見町駅間に譲ることとなった。
駅は岩瀬の中心部、住宅などが立ち並ぶ中にある。当駅から2.5キロメートルほど南東に行ったところには北陸本線の線路が走り東富山駅があるが、この東富山駅がかつては東岩瀬駅を名乗っていた。
歴史
- 1924年(大正13年)9月20日 - 富岩鉄道の越中岩瀬駅として開業。旅客営業のみ。
- 1929年(昭和4年)5月10日 - 貨物の取扱を開始。
- 1941年(昭和16年)12月1日 - 富岩鉄道の富山電気鉄道への路線譲渡により同社富岩線の駅となる。
- 1943年(昭和18年)
- 1950年(昭和25年)5月20日 - 東岩瀬駅に改称。同時に、北陸本線東岩瀬駅が東富山駅に改称した。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物の取扱を廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
- 2006年(平成18年)
隣の駅
参考文献
- 「ありがとう富山港線、こんにちはポートラム」編集委員会編 『ありがとう富山港線、こんにちはポートラム』 TC出版プロジェクト、2006年、ISBN 4-916181-21-2、32-34頁、61-62頁。