朽木晴綱
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朽木 晴綱(くつき はるつな、永正15年(1518年) - 天文19年(1550年))は戦国時代の武将。朽木稙綱の子。室は飛鳥井雅綱の娘。子に朽木元綱。近江朽木谷城城主。朽木氏は高島氏の支族。通称は弥五郎。官位は宮内少輔。祖父・材秀(きひで)からの慣例に従い、室町幕府第12代将軍足利義晴より偏諱の授与を受けて晴綱と名乗る。弟に藤綱(ふじつな)、成綱(なりつな)、直綱(なおつな)、輝孝(てるたか)がおり、このうち藤綱と輝孝も義晴の子、室町幕府第13代将軍の足利義藤(後の義輝)から偏諱の授与を受けている。
室町幕府の奉公衆を務める。足利義澄(永正4年(1507年))、足利義晴(享禄元年(1528年)、晴綱の死後の天文20年(1551年)の2回)といった細川氏や三好氏に京都から追われた足利将軍を朽木谷で保護した。また、足利義晴方として、派兵をして諸将と戦った。しかし1550年、朽木氏の本家である高島氏の高島越中守と高島郡河上荘俵山で戦い、戦死した。