朱標
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朱 標(しゅ ひょう、1355年 - 1392年)は、中国・明朝の初代皇帝洪武帝の長男で皇太子。第2代皇帝建文帝の父。母は馬皇后で、第3代皇帝永楽帝の同母兄にあたる。
概要
明朝建国後、皇太子に立てられて重臣常遇春の娘を妻に迎える(なお、建文帝の生母は側室の呂氏である)。温厚な人柄であり、父が進める重臣たちの粛清を諌めたりしたために、父からは頼りなく思われたという。
だが、父に先立って急死すると、朱元璋は彼の死を深く悲しんで懿文太子という称号を贈った。更に実子である朱允炆が即位すると、興宗の廟号、孝康皇帝の諡号が追号された。
朱標の早世は父による粛清を加速させた上に、靖難の変の原因の一つになるなど、数々の悲劇を生み出す原因となった。
家族
妻
- 孝康皇后常氏
- 呂氏
子
- 虞懐王 朱雄英
- 建文帝 朱允炆
- 呉王 朱允熥
- 衡王 朱允熞
- 徐王 朱允𤐤
女
- 江都公主
- 宜倫郡主
- 南平公主
参考文献
- 『明史』列伝第三