有馬氏恕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
有馬 氏恕(ありま うじよし)は、江戸時代中期から後期の大名。伊勢西条藩の第5代藩主で、陣屋を移転して上総五井藩の初代藩主となった。氏倫系有馬家5代。
生涯
安永2年(1773年)閏3月、堀家の縁戚である伊勢西条藩有馬家[1]で、第4代藩主の有馬氏房が嗣子なくして早世したため、その末期養子となる。同年5月14日に正式に遺領継承が認められ、13歳で西条藩主となった。安永4年(1775年)4月28日、徳川家治に初謁する。安永8年(1779年)12月16日、従五位下兵庫頭に叙せられる。
天明元年(1781年)11月28日、陣屋を上総国市原郡五井に移したため、以後は五井藩主となる。伊勢の所領は代官の棚瀬氏が管理している。天明2年(1782年)2月15日には、初めて領国に入るための暇を得ている(参勤交代)。
天明3年(1783年)9月26日、23歳の若さで死去した。本家に当たる久留米藩主・有馬頼貴の養女(石野範至の娘)との婚約があったが、氏恕が没したため婚姻は実現しなかった[2]。
当時奏者番であった越後長岡藩主・牧野忠精の弟の忠義(有馬氏保)が末期養子として入り、跡を継いだ。
脚注
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』巻第四百七十