幽霊坂
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(有礼坂から転送)
本項で扱う幽霊坂は、同音異字で有礼坂とも記されるところの、東京都港区三田四丁目に所在する、坂の名称である。他の幽霊坂との明確な区別が必要な場合は、三田の幽霊坂(みた の ゆうれいざか)と呼ばれる。
地名の由来
当地は江戸の昔から「ゆうれいざか」と呼ばれているが、その名の正確な由来は不明である。 他にもある幽霊坂と同様に漢字では「幽霊坂」と記すのが通常であるが、「有礼坂」と記す場合があり、下記のとおり、双方に由来説がある。
- 幽霊坂の由来説
- 坂の周辺地域には寛永12年(1635年)の江戸城拡張に伴って八丁堀より移転されてきた寺院群が建ち並び、昼でも幽霊が出そうなほど暗い場所であったことから、あるいは、それほどに寂しい場所であったから、とする。
- 有礼坂の由来説
ただし、後者の説は定説ではなく、むしろ単純に「幽霊」が持つ「負」のイメージを嫌って(もっとも、これをことさらに嫌うのは明治以降の日本人の感覚である)、地域にゆかりの人物名にこじつけたと考えるのが自然である。
特徴
国道1号から登り、聖坂と交差し終わる。左右に寺院が並び、勾配は途中からかなりきつくなる。
昭和40年代(1970年前後十年代)までは、坂の上から三田、麻布方面が一望できた。御田小学校への通学路にあたり、後年になって歩道が完備されたが、ガードレールまでは設置されていない。
立ち並ぶ寺院群
幕末には、坂上に次のような寺院が建ち並んでいた。移転した正泉寺以外は現存する。
- 向かって左に───
- 随応寺(ずいおうじ) :浄土宗。三田4-6-19。
- 正泉寺(しょうせんじ) :旧称・泉蔵院。承応年間(1652- 1655年)、溜池より三田に移転。幕末から明治元年にかけてフランス、イギリス、スイスの各領事館員宿舎となる。明治44年(1911年)、目黒区碑文谷一丁目へ移転。[1]
- 仙翁寺(せんしょうじ) :曹洞宗。三田4-5-12。
- 實相寺 :浄土宗。会津藩主・保科正之が江戸での菩提寺に定めた。三田4-12-15。
- 向かって右に───
- 長松寺(ちょうしょうじ) :浄土宗。坂より忍願寺(にんがんじ。浄土真宗東本願寺派。三田4-7-30)脇を入った場所(三田4-7-29)に所在。
- 称讃寺(しょうさんじ) :浄土宗。三田4-7-7。
- 玉鳳寺(ぎょくほうじ) :曹洞宗。三田4-11-19。
- 正覚院(しょうかくいん) :臨済宗妙心寺派。三田4-11-26。
東京にある、他の幽霊坂・ゆうれい坂
東京にある、他の「幽霊坂」および「ゆうれい坂」の一部を記す。
- 幽霊坂 :文京区目白台一丁目、和敬塾わき。
- 幽霊坂 :文京区目白台二丁目、日本女子大学わき。
- 幽霊坂 : 北区田端一丁目与楽寺脇の路にある坂。
- 幽霊坂 :千代田区神田淡路町二丁目、損保会館前。
- 幽霊坂 :千代田区神田駿河台、ニコライ堂北側。
- 幽霊坂 :新宿区牛込、弁天公園南側。
- ゆうれい坂(幽霊坂) :品川区南品川五丁目、品川ろう学校前。この坂の名をモチーフにしたホラー小説『ゼームス坂から幽霊坂』(吉村達也著、双葉社)がある(ゼームス坂も品川区の坂)。