月隈公園

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月隈公園(つきくまこうえん、つきのくまこうえん)は、大分県日田市丸山町にある公園である。

侵食によって形成された残丘である日田三丘(日隈・月隈・星隈)のうち一つで、古くは月隈山と呼ばれ「丸山」「長山」「永山」、また豆田町方面の城跡であることから「豆田の城山」とも呼ばれる。

江戸時代1601年には丸山城が築かれたが、日田陣屋設置に伴い廃城とされ、現在は一部の石垣や堀が残っている。1818年(文化15年)塩谷大四郎正義郡代時代に金比羅社を建立するための山道拡張と修復工事が行われた際、山の中腹より人骨が出土したため、古代日田地方を治めていたと考えられている豪族日下部一族の墓であると考えられている。このとき出土した人骨の供養のため塩谷は「帰安碑」という供養塔を建立した。碑文は廣瀬淡窓によるものである。

1871年(明治4年)、三の丸跡広場に日田県県知事官舎や県庁が設置されたが、大分県へ併合された後、県知事官舎跡には日田区裁判所が置かれ県庁跡は大分県立日田林工高等学校の敷地となった。1910年(明治43年)、城山部分は旧跡保存のため公有地とされ、1915年(大正4年)には公園となった。

日田区裁判所移転後、跡地は広場として整備され普段はおもにゲートボール場として使われているが、秋ごろには日田天領祭りのイベント会場として使用されることがある。東部の堀跡には遊具を設置した児童公園とプールがある。

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