神戸市風見鶏の館

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神戸市風見鶏の館(こうべしかざみどりのやかた)は、兵庫県神戸市北野町3丁目にある歴史的建造物。1904年明治37年)にドイツ人貿易商の住宅として建てられた西洋館(異人館)で、重厚な煉瓦造りの外観と、屋根上の風見鶏を特徴とする。その風見鶏により風見鶏の館と呼ばれ、また当初の居住者の名から旧トーマス邸旧トーマス住宅とも呼ばれる。国の重要文化財に指定されている。

概要

1904年(明治37年)に、ドイツ人の貿易商ゴットフリート・トーマス(Gottfried Thomas 1871年-1950年)の個人住宅として、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデの設計により建てられた、ネオ・バロック様式を基調とした建築である。施主のトーマスはこの家をハウス・レナニア(ラインの館)と呼び、ドイツ風の重厚なデザインの中に内装には随所に世紀末のユーゲント・シュティールアール・ヌーヴォー)様式を取り入れている。

トーマス家では1914年(大正3年)、一人娘のエルゼ・トーマスをドイツ本国の上級学校に進学させるために、休暇を兼ねて一家三人でドイツへ一時帰国中に、突然勃発した、日独戦争第一次世界大戦)により、日独が戦争状態に陥り、結果、一家は神戸の自邸への帰還ができなくなるという悲劇が起きた。トーマス家では、館は敵性資産として没収されたと伝えられていたが、登記簿上では、戦争中に、売買された形にされている。[1]

この建物は1978年1月に「旧トーマス住宅」の名称で国の重要文化財に指定された。同年、神戸中華同文学校学生寮となっていたこの建物を、神戸市が文化事業の一環として買い上げ、整備した後に一般公開を行った。阪神淡路大震災で被害を受け、1年8か月かけて修復工事が行われた。

1977年10月から放送が始まったNHK連続テレビ小説風見鶏」で全国的に知名度が上がり、北野町山本通周辺にある異人館群のシンボル的存在であるこの建物の文化財としての価値にも注目が集まるに至った。ただし、異人館風見鶏の館の住人だったトーマス家の歴史とテレビドラマ「風見鶏」のストーリーは全く関係がなく、ドラマの時代設定自体が、トーマス家の在日時期とは異なるため、ドラマのモデルではない。(風見鶏 (テレビドラマ)の項目参照)

1995年阪神大震災でほぼ全壊するという大きな被害を受けた。元の建材を70%以上使用して再建されたことで、重要文化財指定は取り消されずに済んだ。

建設当時を再現した室内には洋家具、トーマス家の写真、西洋アンティークの人形などが展示されている。神戸市では「神戸市風見鶏の館等条例」を定めており、指定管理者は神戸市民生活協同組合である。

建築概要

半地階付きの2階建(一部3階建)で、地階は御影石積、1階は煉瓦造、2階は木造ハーフティンバーとするなど、階ごとに意匠に変化をつけている。屋根は寄棟造、スレート葺きとする。

建物東側、階段を上ったところに玄関ポーチがあり、角柱で支えられたポーチの上はバルコニーとなっている。1階は中央北側をホール、南側をアルコーブ付きの居間とし、東側は玄関を挟んで北側が書斎、南側が応接間となっている。居間東側のアルコーブと書斎の東側は床高を一段高くし、書斎東北側は八角形の張り出しを設ける。1階の西側は食堂とし、その南にベランダを設ける。2階の間仕切りは1階と同様で、居間の上が子供部屋、応接間の上が朝食の間、書斎の上が客用寝室、食堂の上が夫婦寝室となっており、夫婦寝室の南にも1階と同様にベランダを設ける。建物の東南隅には塔屋を設け、この屋上に風見鶏がある。[2]

建築年代については、神戸市への新築届の提出年から、1909年(明治42年)竣工とされていた。しかし、ゴットフリート・トーマスの娘で、この住宅で少女時代を過ごしたエルゼ・カルボー(旧姓・トーマス)は、この住宅に移り住んだのは1905年だったと証言している。また、当時の外国人の住所録でもあった、ディレクトリーでは、1904年版(1903年末の実態を反映)では、山本通3丁目1に居住となっていたのが、1905年版以降になると、北野町3丁目11の、現・風見鶏の館の住所に変更になっていた。そのほか、竣工当時の建物の写真にゴットフリート・トーマスが「1904年竣工」と裏書し、署名していること、設計者ゲオルグ・デ・ラランデによる1904年6月の署名と年号入りの図面が発見されたことなどにより、実際の建物竣工は1904年だったとする説がある。2009年1月、神戸市立博物館では販売中の展覧会図録(『神戸横浜開化物語』)を正誤表で訂正し、「明治37年~38年(1905)はじめに建てた住宅」と解説をあらためた。これに対して、神戸市文化財課は、同じ神戸市でも市立博物館とは対応が異なり、従来の「1909年(明治42年)」の表示に「頃」一文字だけを加え、「明治42年(1909年)頃」として、入館パンフレットや入口の看板を新調している。[3]

ベランダや木組みなどの、外観木部塗装色については、1978年に重要文化財に指定されたときは、灰色であったが、その後、神戸市によって、茶褐色に塗り替えられた。 しかし、デ・ラランデ本人の署名入り設計図では、深緑の彩色が施されており、2011年の塗装塗り替えの際に、深緑色に戻すべきではないか?との指摘があったことが報じられている。[4]

デ・ラランデの出身地、旧ドイツ領ヒルシュベルグ(現ポーランド)に残された、自身の設計による自邸「すずらんの家」(1898年築)をはじめ、ヒルシュベルグで日本人研究者によって発見された約40棟のデ・ラランデ作品中、創建当時のままの塗装とみられるものでは、実際に深緑が塗装色に多く使用されていたという。[5]

風見鶏

風見鶏の館は神戸ポートタワー神戸海洋博物館旧居留地のビル群等とともに神戸を象徴する建造物の一つである。風見鶏の館の尖塔と風見鶏は、観光ガイドブックやパンフレットなどのトップに使用されることが多く、公的なデザインにも多く取り入れられている。

周辺

脚注

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参考文献

  • 『解説版 新指定重要文化財』第13巻(建造物III)、毎日新聞社、1982
  • 『日本の民家』第8巻(洋館)、学習研究社、1981
  • 広瀬毅彦『風見鶏 謎解きの旅』、神戸新聞総合出版センター、2009
  • 広瀬毅彦『~没後百周年記念~ 既視感(デジャブ)の街へ ロイヤルアーキテクト ゲオログ・デラランデ新発見作品集』、ウインターワークス、2012

関連項目

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外部リンク

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  1. 広瀬毅彦『風見鶏謎解きの旅』、pp.122-125、206-207
  2. 構造と間取りについては『解説版 新指定重要文化財』第13巻(建造物III)、pp.173 - 174および『日本の民家』第8巻(洋館)、pp.186 - 187による。
  3. 広瀬毅彦『風見鶏 謎解きの旅』、pp.107 - 112, 173 - 178, 205 - 209
  4. 「風見鶏の館 元は何色? 芦屋の研究者「設計図通り緑に復元を」vs神戸市「完成当時は茶色と判断」」『神戸新聞』、2011年2月20日朝刊
  5. 広瀬毅彦『~没後百周年記念~ 既視感(デジャブ)の街へ ロイヤルアーキテクト ゲオログ・デラランデ新発見作品集』、pp277-394、http://tairyudo.com/tukan6bo8800/tukan9524.htm