日寛
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日寛(にっかん、寛文5年8月7日(1665年9月15日) - 享保11年8月19日(1726年9月14日)、1718年登座)は、大石寺第26世の法主。
日蓮正宗では、第9世日有とともに中興の祖としてあがめている。
中興の祖と言われた理由として、六巻抄を後世に残した事が大きく関係している。
略歴
- 1665年(寛文5年)8月7日、上野国前橋で誕生。
- 1673年(延宝1年)11月21日、母貞嘉妙真卒。
- 1683年(天和3年)、総本山第24世日永を師範として得度し「覚真日如」と名乗る。19歳。
- 1688年(元禄1年)9月3日、日永、会津実成寺に住す、日寛随行す。
- 1689年(元禄2年)、僧侶の学問所である細草檀林に入る。25歳。
- 1690年(元禄3年)5月、集解抄を記す。
- 1691年(元禄4年)4月17日、集解序草鶏記を記す。5月14日、集解上本草鶏記を記す。
- 1694年(元禄7年)3月11日、玄籖一草鶏記上巻を記す。5月6日、玄籖一草鶏記中巻を記す。11月12日、玄籖二草鶏記を記す。
- 1695年(元禄8年)11月21日、養母縁窓妙順卒。
- 1698年(元禄11年)2月14日、文一別序草鶏記を記す。4月14日、文一草鶏記を記す。8月12日、文一下草鶏記を記す。
- 1699年(元禄12年)6月29日、壽量品演説抄〔談義〕3巻を著す。9月9日、文三題号草鶏記を記す(石蔵)閏9月15日、文三入文草鶏記を記す。
- 1700年(元禄13年)1月30日、江戸妙縁寺類焼。3月2日、宝塔品草鶏記を記す。4月8日、文四草鶏記を記す。6月、談義草鶏記を記す。8月、堂供養法則を書す。11月6日、江戸常泉寺梵鐘成る。
- 1701年(元禄14年)4月14日、文四末草鶏記を記す。4月21日、文五草鶏記を記す。
- 1702年(元禄15年)5月20日、文六草鶏記を記す。11月3日、文七草鶏記を記す。
- 1703年(元禄16年)5月10日、法師品草鶏記を記す。12月下旬、薬王品病即消滅抄を著す。
- 1705年(宝永2年)2月、法衣供養談義を著す。6月22日、父母報恩談義を著す。
- 1706年(宝永3年)4月26日、条箇下愚記を記す。10月12日、薬王品後五百歳中広宣流布之事を著す。
- 1707年(宝永4年)3月23日、父静円卒。4月11日、条箇下末之抄を記す。5月4日、条箇上本之抄を記す。9月12日、条箇上末之抄を記す。10月14日、集解上之抄を記す。11月6日、集解下草鶏記を記す。
- 1708年(宝永5年)4月18日、集解下之抄を記す。細草26代の化主となり能化に昇格して「堅樹院日寛」と改む。日寛集解の講終る。
- 1709年(宝永6年)、玄籖四を講ず。
- 1710年(宝永7年)、玄籖七・十を講ず。
- 1711年(正徳1年)年夏、6代学頭となり御書を講ず。法華題目抄の講を始む。
- 1713年(正徳3年)8月、三重秘伝抄を著す。
- 1714年(正徳4年)4月、方便品題号草鶏記を記す。天英院江戸常泉寺に1500両を寄進本堂造営。
- 1715年(正徳5年)6月13日、撰時抄愚記上巻を著す。10月28日、安国論愚記を著す。
- 1716年(享保1年)3月18日、撰時抄愚記下巻を著す。6月13日、法華題目抄文段を著す。9月17日、宗教深秘抄を著す。
- 1717年(享保2年)2月7日、法華取要抄文段を著す。8月22日、天英院の寄進により大石寺三門建立成る。
- 1718年(享保3年)3月、第25世日宥より血脈相承を受け登座、法主に就任。10月13日、蓮祖三徳之事を著す。11月13日、大石寺梵鐘改鋳。
- 1719年(享保4年)10月上旬、青蓮鉢銘註を著す。
- 1720年(享保5年)2月24日、日寛法を27世日養に付し再び学寮に入る。
- 1721年(享保6年)2月16日、当体義抄の書本を校合し、当体義抄文段並びに同略科を著す。11月上旬、観心本尊抄文段2巻を著す。
- 1722年(享保7年)2月24日、報恩抄文段2巻を著す。
- 1723年(享保8年)6月4日、27世日養寂。日寛再往。
- 1724年(享保9年)3月3日、下総猿島百戸に大乗寺を創す。大石寺塔中石之坊創し常唱堂建立を発願す。
- 1725年(享保10年)、宗門教学の大綱を「六巻抄」としてまとめる。3月上旬三重秘伝抄、3月下旬文底秘沈抄、4月中旬依義判文抄、5月上旬末法相応抄、5月下旬当流行事抄、6月当家三衣抄。冬、年賀のため江戸に下向す。
- 1726年(享保11年)2月、江戸下谷常在寺に観心本尊抄を講ず。3月、帰山。5月26日、法を28世日詳に付す。6月18日、遺状を記す。8月19日早朝、62歳をもって遷化(死去)した。
補足
- 8月18日の深夜、「我まもなく死すべし」と侍者に告げ、辞世の一偈一句「本有の水風 凡聖常に同じ 境智互いに薫じ 朗然として終に臨む」を書いた。