政党制

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テンプレート:政党政治 政党制(せいとうせい)とは、ある政体政党間の勢力分布や交渉対立の様相を、一つのシステムとみて把握したものである。政党システム政党政治とも言う。

政党制の類型

デュヴェルジェの政党制類型

1970年代まで、政党制の類型と分析においてもっとも影響力があったのはモーリス・デュヴェルジェの研究であった。彼は政党制を一党制二党制多党制に三分し、その中で二党制を称揚した。デュヴェルジェは、政治対立は必ず二者の対立になるものであって、中間的な立場は不自然であるから、二党が対立することが良いと考えた。またデュヴェルジェは、小選挙区制が二党制を生み、比例代表制が多党制を生むという「デュヴェルジェの法則」を提唱した。

このような三分法にもとづく政党制理解では、一党制は独裁を、多党制は混乱をもたらすとみなされた。二党制のアメリカとイギリスがもっとも優れているとされた。

1970年代以後の研究は、二党制以外の政党制の汚点をぬぐい去り、デュヴェルジェの法則の規定力に疑問符を付けた。しかしそうした研究成果は広まらず、二党制の賞賛と小選挙区が二党制を生むという説は一般に広く信じられ、現実政治で影響力を持ち続けた。

サルトーリの政党制類型

1970年代にジョヴァンニ・サルトーリが政党の数とイデオロギー的距離の2つを基準にした政党制類型を提唱し、政治学者に広く受け入れられた。サルトーリはまず政党制を競合的なものと非競合的なものに分け、競合的な政党制は数とイデオロギー的距離によって分割した。

サルトーリの分割法は、うまく機能する民主主義として二大政党制穏健な多党制を取り出した。二大政党制に入れられたのは、イギリス系のアングロサクソン諸国である。穏健な多党制に入れられたのは、ドイツの他、ベネルクス三国やスカンディナヴィア三国などがある。これらの政党制は、イデオロギーの差異が小さいことが共通の特徴である。

またサルトーリは、民主主義ではあるが、政治的には非効率なものとして一党優位制分極的多党制を指摘した。典型的な一党優位制としては、55年体制日本、(ジャワハルラール・ネルーインディラ・ガンディー下の)インドがある。分極的多党制に入れられたのは、サルトーリの母国イタリアの他には、ヴァイマル共和政フランス第三共和政フランス第四共和政などが上げられる。これらの政党制は、イデオロギーの差異が大きいことが共通の特徴である。

サルトーリの念頭にあったのは、デュベルジェに対する批判ではなく、その拡張である。デュベルジェは二党制をもって、もっとも効率的な民主主義であるという結論を出していたが、サルトーリはそれに付け加えて、穏健な多党制も効率的な民主主義であると結論づけた。テンプレート:独自研究範囲

色々な批判を受けながらも、この分類法は、21世紀初めの現在に至るまで、もっとも大きな影響力を持つものとして政治学者の間で広く受け入れられている。

レイプハルトの民主主義類型

デュベルジェ、サルトーリらにより、二大政党制が称揚されていた状況に対して、ある側面から批判したのが、アーレンド・レイプハルトである。彼の理論は、政党制を越えて広汎な政治システム全般を取り扱ったものだが、政党制が理論の核とも言える重要性を持ち、またそれが二大政党制の神話を批判する側面があるので、ここに簡単に記す。

まずレイプハルトは、政党制を有効議会政党数を手がかりに、2党制、2.5党制、優位政党のある多党制、優位政党のない多党制の4つに分類した。その上で2党制と2.5党制とを多数決型民主主義ウェストミンスター型モデル)とし、優位政党のある多党制と優位政党のない多党制とを合意形成型民主主義(コンセンサス型モデル)とした。サルトーリの政党制との関連性は以下の通りである。

そしてレイプハルトは、多くの面において合意形成型民主主義が優れているという結論を、36か国に及ぶ実証研究の中から「証明」した。レイプハルトによれば、合意形成型民主主義はイギリスに代表される多数決型民主主義よりも、マイノリティ(女性や人種的マイノリティ)の代表性の度合いが高いことから、より「優しい」民主主義である一方、成長率・失業率その他の経済的業績は両者に有意な差がないことを主張している。

サルトーリは、このレイプハルトの合意形成型民主主義を「全くついていけない」と再反論している。

どの政党制が優れているか

デュベルジェは、その後の彼の論文の中で、フランス第五共和政の事例を取り上げることで、絶対多数制の選挙制度の下における多党制を推薦するかのような論調を採っている。またサルトーリもフランス第五共和政二回投票制をもっとも優れた選挙制度であるという結論を留保つきながら著述している。

フランス第五共和政は、定説となるような類型は名付けられてはいないが、二ブロック的多党制あるいは二大ブロック制とも言うべき政党制になるであろう。二大政党制と穏健な多党制の中間的な政党制である。二つの政党群が政権を競い合い、選挙によって明確に勝者となる政党群が決まる。その政党群の中のリーダー格である政党の党首が首班指名を受けるということをデュベルジェとサルトーリは想定しているようである。

しかし、近年のフランスでは第三勢力の国民戦線が台頭してきているほか、イギリスやカナダでも伝統的なトーリーホイッグレイバーが併存している状況となっているため、デュベルジェとサルトーリの想定外の事態になっているとも言えなくもない。1993年以降のイタリアの状況の方が、より想定に近いかも知れないが、サルトーリ自身は小選挙区制と比例代表制の混在している選挙制度は批判している。なお、サルトーリが母国のイタリアで分極的多党制を批判し、二大政党制への変革を求めて選挙制度の改革を推進したことは有名である。

日本の各政党や政治家も、政党制のあり方に対する支持・不支持を表明している。民主党は二大政党制を強く推進する言動をしており、公明党日本共産党以下の小政党は穏健な多党制を推奨している。自由民主党は一党優位制を暗に望む政治家(55年体制を知るベテランに多い)と、二大政党制を主張する政治家(若手に多い)が混在しているようである。しかし、当然のことながら、これらは、各党・政治家の利害に大きく影響された主張であるといえる。

敗戦後日本の政党制

55年体制下における日本の政党制は長らく自民党が与党であり続けた特徴がある。サルトーリらの分析では、55年体制は典型的な一党優位制の状況であった。自民党の一党支配が終焉した1993年以降は日本共産党を除けば、全政党が政権に参加したことがあるという経緯からみて、穏健な多党制とも言える。また、民主党自由党が合併した2003年以降は、条件からみて二大政党制とも言える(2007年には衆議院では自民党が第一党、参議院では民主党が第一党という状態となり翌々年2009年まで続いた。2012年から再びこの状態になり、2013年まで続いた)。

しかし、日本共産党を含めると、そのイデオロギーの差異からみて、ずっと分極的多党制であり続けたという議論も成り立つ。日本共産党を有為な政党と見るかどうかで、日本の政党制をどのようにみるかが異なってしまう(カリフォルニア大学のバークレー校のロバート・A・スキャラピーノも同意見)。発言者の政治的思惑も絡んで、意見の一致は不可能であろう。定説は無いというのが正しいとする見方も根強い。

ただし、全体としては、日本の政党制は、1993年の選挙制度改革を契機に、自民党一党支配から、紆余曲折を経ながらも徐々に二大政党制へ移行しつつある、という見解が最も妥当なところであろう。とはいうものの、日本の場合のいわゆる二大政党制は選挙制度改革の所産という性格が強く、さらに選挙制度改革後も共産党に加えて、設立母体たる創価学会の価値観を色濃く反映し独自の政治姿勢を保持し続ける公明党勢力が厳然と存在していることから、米国や英国流の二大政党制と同列に論じることには批判がある。仮に日本で再び選挙制度が改正されると、極めて人為的に作られた民主党や結党当初より党内対立を抱える自民党の分裂も十分に予想され、その時は、再び理念・政策をもとに政党が結集する穏健な多党制へ戻る可能性も指摘されている。また日本独特の事情をもとに、三大政党制ともいえる状態に近づく可能性もある。

2012年の第46回総選挙では、自民党・公明党が勝利し政権復帰したが、与党第一党の民主党は比例区では日本維新の会に及ばず、選挙区を含め辛くも比較第二党を確保した。また、2013年東京都議会議員選挙では民主党は公明党・共産党をも下回り第四党に転落した。さらに第23回参院選では民主党は比例区で公明党を下回る第三党となり、選挙区議席で比較第二党を確保した。これは55年体制期にも見られなかった現象であり、自民党の一党優位制に回帰した、あるいは分極的多党制が強まったと見ることもできる。

冷戦後のグローバリゼーション・情報化と政党

冷戦の終了とグローバリゼーション・情報化の進展が政党のあり方にも影響を与えつつある。冷戦後、政党がイデオロギー政党としての性格からプラグマティック政党の性格に変化せざるを得ないという議論もある。いずれにしろ、多くの点で今後世界の政党制が変動する可能性が存在する。

参考文献

注釈


関連項目