戸田重貞

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戸田 重貞(とだ しげさだ、生年不詳 - 永禄7年11月2日1564年12月5日))は、戦国時代武将今川氏徳川氏の家臣。戸田氏宗家の15代当主。通称は主殿助。松平姓を賜った[1]とされ、松平主殿助、松平丹波守とも。三河国渥美郡仁連木城主であることから仁連木戸田家ともいう。父は戸田宣光。叔母は徳川家康の継母・田原御前

はじめ、重貞を含めた三河国国人今川氏に従属していたが、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いにて今川義元が討ち死すると、次第に国人は離反し始めた。そのため、跡を継いだ今川氏真はこれら国人らの人質を三河吉田城に置き、小原鎮実(資良)に守らせた。今川氏に見切りを付けた重貞は人質となっている母を救出するため、小原鎮実と懇意となり、城中に重貞を怪しむ者がなくなったのを見計らい、永禄7年(1564年)に母を鎧笈に入れて家来に担がせて逃亡。以後、徳川氏に仕え、東三河における国人が概ねその傘下に入ったのは、重貞の功労によるところが大きかったという。

同年11月2日、吉田城攻めにおいて討ち死にした。

脚注

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関連項目

  • 戸田家が松平を賜った時期を養嗣子・康長以降とする説もあり定かでない。