徳永善也
テンプレート:Infobox Musician 徳永 善也(とくなが よしや、1964年6月7日 - 2004年8月17日)は、福岡県久留米市出身のミュージシャン(ドラマー)。元チェッカーズのドラムス担当。「クロベエ」の愛称で長年親しまれた。身長174cm。
経歴
小学生時代によく黒いジャンパーを着ていたため、クロベエと呼ばれるようになった。
チェッカーズが結成された1980年、メンバーに車に連れ込まれ、「山に埋める」と脅されて加入させられた経緯を持つ。それまでは別のバンドに所属していた。チェッカーズは1983年にデビュー。解散まで在籍し、そのひょうきんなキャラクターでも親しまれ、ステージ上だけでなく様々なバラエティ番組などでも人気を博した。
徳永の実父は会社を自営していたが、仕事で運転していた車での踏切事故で1985年の年末に他界。この事故についての補償など事後処理は、チェッカーズの所属事務所・スリースタープロが行ったという。チェッカーズは1992年一杯で解散し、藤井郁弥(現:藤井フミヤ)・尚之兄弟・武内亨・大土井裕二はスリースタープロを事情あって退社したが、徳永は高杢禎彦・鶴久政治とともに社に残った。これは鉄道事故補償の恩義を徳永が通したからだといわれる。
1993年、『リトルバッハ』を結成。準備期間を経て1995年より本格的に活動を開始する。しかしその後、徳永をリーダーとして結成されたバンド、リトルバッハはライブ動員、CD売り上げともに伸びず、スリースタープロの決定により1998年に解散。徳永は事務所を退社、一時芸能活動を全て停止の上、大型トラックの運転手をして生活を支えていた時もあったという。
チェッカーズ解散後は鶴久のレコーディングにドラマーとして参加したり鶴久のライブにドラマーとして出演していた。2002年、博多時代からの仲間隈富太郎がきっかけで隈が率いるバンド、『WILD-G』に加入。当時このバンドはサウンドプロデューサーとして武内を迎えていた。
癌発覚直前の2003年、平行してチェッカーズ時代の仲間である武内・大土井・尚之とアブラーズを結成。精力的に音楽活動を行っていたが、間もなくして舌癌を患い、その後入退院を繰り返していた。2004年8月17日、舌癌により40歳の若さで死去。生涯独身であった。
人物・エピソード
チェッカーズの1985年7月5日にリリースされた7枚目のシングル「俺たちのロカビリーナイト」のB面に収録されている「青い目のHigh School Queen」の作曲者は彼である。と同時にクロベエのチェッカーズ時代の唯一のソロ曲であった。
C-C-Bの笠浩二とは同じドラマーということで親交が深く、チェッカーズ解散の報告も真っ先に笠にしたという。
TH eROCKERSの再結成ギタリスト角英明とは親戚である。
ビデオ
- 徳永善也 第一回監督作品 『素顔 THE CHECKERS in LONDON/NEW YORK』 (1988年)