後藤光貴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年6月16日 (月) 00:48時点におけるYkuhssnootoko (トーク)による版 (記録)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox baseball player 後藤 光貴(ごとう みつたか、1974年8月27日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手投手)。現在は、埼玉西武ライオンズのスカウト[1]

来歴・人物

鯖江高から、新日本製鐵堺大和銀行を経て、1999年のドラフト会議西武ライオンズに7位指名され入団。

2年目のテンプレート:Byから先発ローテーションを任され、テンプレート:Byには10勝を挙げた。チェンジアップを自在に操って驚異の奪三振率を誇ったが、肩を怪我し、リハビリ後では投球が一変し低迷を続ける。

テンプレート:Byパ・リーグ開幕直後に河原純一との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍。先発要員として期待されたが、結果を残すことができずシーズンの大半を2軍で過ごした。シーズン終了後、再び金銭トレードで西武に復帰。

しかし、テンプレート:Byはオープン戦での不調が響き2軍スタート。1軍登板の無いままレギュラーシーズン終了後に戦力外通告を受け、現役を引退。西武の関西地区スカウトに就任した。担当選手には浅村栄斗金子侑司がいる。

1年遅れで入団

本来は1998年のドラフト会議で西武ライオンズの指名を受けるはずだったが、直前に福岡ダイエーホークスが同じ大和銀行の水田章雄を先に指名した。ドラフトでは事前の了承を得ないと同一社会人チームからは複数人の選手をドラフトで指名することが出来ないというルールがあり、西武は大和銀行に対して事前の了承を得ていなかったため後藤の指名は無効となってしまった。結局、翌1999年のドラフト会議で改めて指名を受けた。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 西武 2 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 44 9.1 14 0 4 0 0 4 1 0 6 2 1.93 1.93
テンプレート:By2 35 6 0 0 0 3 2 0 -- .600 329 83.0 50 12 30 0 2 97 1 0 23 23 2.49 0.96
テンプレート:By2 16 12 1 1 0 7 2 0 -- .778 323 82.2 61 8 21 1 2 66 0 0 32 31 3.38 0.99
テンプレート:By2 23 23 1 1 0 10 7 0 -- .588 601 141.2 150 29 34 1 3 91 1 1 66 60 3.81 1.30
テンプレート:By2 6 6 0 0 0 3 2 0 -- .600 148 31.2 38 6 11 0 4 17 2 0 22 21 5.97 1.55
テンプレート:By2 巨人 5 3 0 0 0 0 2 0 0 .000 72 15.0 22 0 6 0 4 9 2 0 16 16 9.60 1.87
通算:6年 87 51 2 2 0 23 16 0 0 .590 1517 363.1 335 55 106 2 15 284 7 1 165 153 3.79 1.21
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

その他の記録
  • 1球勝利投手:2001年7月27日、対日本ハムファイターズ19回戦(西武ドーム)、10回表2死1塁でシャーマン・オバンドーを遊飛 ※史上14人目
  • 1球勝利がプロ初勝利 ※史上2人目

背番号

  • 50 (2000年 - 2005年途中)
  • 15 (2005年)
  • 41 (2006年)

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:西武ライオンズ1999年ドラフト指名選手
  1. 週刊ベースボール2014年3月24日号 P18