後生掛温泉
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テンプレート:日本の温泉地 後生掛温泉(ごしょうがけおんせん)は、秋田県鹿角市(旧国陸奥国、明治以降は陸中国)にある温泉。
岩手県と秋田県県境の八幡平(火山)山頂から少し西側に位置し、八幡平アスピーテライン沿いにあり、山の中にしては比較的交通の便がよい。
泉質
「馬で来て下駄で帰る後生掛」と謳われたように、昔から効能の高い湯として知られている。
効能
温泉街
後生掛温泉は昔からの湯治宿で、一温泉一軒宿だが、外見上は、「本館」「新館」「湯治棟」に分かれている。湯治宿の面影を色濃く残す湯治棟は自炊が基本。宿舎の床下に蒸気を通して暖める「オンドル構造」になっていて、自室で寝ているだけでも湯治効果があるという。
大浴場はかってはすべて混浴であったが、今は男女別となっている。木製の箱の中に頭部だけ出して入り、蒸気で温まる「箱蒸し風呂」は、昔、「原始トルコ風呂」と呼ばれていたころから後生掛温泉の名物となっている。ほかに「露天風呂」「泥風呂」「火山風呂(気泡浴)」「打たせ湯(滝風呂)」などもある。日帰り入浴も可能。
源泉は4種類。宿の裏側には泥を吹き上げる墳気口や泥火山などを観察できる「後生掛園地」がある。宿は焼岳の登山口にもなっている。また足湯も設置されている。
高温の源泉を利用して作られる温泉卵が名物。硫黄分が多いため、卵の殻が黒く変色しているのが特徴である。
歴史
後生掛の地名の由来には以下のような伝承がある。
- 約300年前に、三陸地方出身の九兵衛というものがこの地に住んでいた。九兵衛が重病で苦しんでいた際、恐山巡礼の途中の女性の看病を受け、回復後その女性とともに暮らした。3年後、三陸から九兵衛の妻が当地にやってきた際に、巡礼の女性は源泉地の谷に身を投げた。それを知った九兵衛の妻もまた、「後生」を「掛」けて源泉の谷に身を投げた。以降この地を後生掛と呼ぶようになり、また源泉をオナメ(妾)の湯、モトメ(本妻)の湯と呼ぶようになった。
昭和34年9月3日、後生掛温泉を含む八幡平温泉郷を国民保養温泉地に指定。
アクセス
車
- 八幡平アスピーテライン沿いに位置する。遠方からの場合、東側からであれば東北自動車道松尾八幡平ICもしくは国道282号、西側からであれば国道341号経由でアスピーテラインに入る。ただし冬期は東(八幡平)側および国道341号の田沢湖方面からのアクセスは不可。
鉄道
バス
後生掛バス停にて下車。以下は2007年4月 - 11月の情報。
- 十和田湖駅 - 十和田南駅 - 鹿角花輪駅 - アスピーテ入口 - 後生掛温泉
- 田沢湖駅 - 田沢湖畔 - 玉川温泉 - アスピーテ入口 - 後生掛温泉
- 羽後交通2往復、秋北バス1.5往復。秋北バス最終便(ふけの湯温泉行き)を除き全便八幡平頂上バス停発着。
- 所要時間:田沢湖駅から約1時間50分、田沢湖畔から約1時間40分、玉川温泉から約30分。
- 上記の他、盛岡駅から八幡平頂上行きのバス(直行1往復、乗継2往復)に乗車、八幡平頂上で上記両路線に乗り継ぐ方法もあるが、盛岡駅 - 八幡平頂上で2時間20分程度掛かるうえ、八幡平頂上での乗り継ぎもよいとは言えない。
関連項目
- 三井理峯 - 著書『我は平民』において後生掛温泉について述べている。