影を慕いて
『影を慕いて』 (かげをしたいて) は、1931年(昭和6年)1月に発表された古賀政男作詞・作曲の昭和歌謡である。1932年(昭和7年)3月に藤山一郎の楽曲として発売されヒットした。
概要
藤山一郎のヒット曲。昭和流行歌の傑作のひとつとされる。本作には作曲者古賀政男の人生の苦悩・絶望からの魂の叫びが込められている。
昭和初期、モダニズムの翳ともいうべき暗い世相が日本に蔓延していた。古賀は己のロマンチシズムが崩壊しその絶望から、青根温泉(川崎町)で自殺を図った。昭和3年の夏である。そのときに蔵王にかかった夕焼けを見て『影を慕いて』の一片の詩が浮かんだ。1929年(昭和4年)6月、明治大学マンドリン倶楽部の定期演奏会でギター合奏曲として発表。演奏会にゲストで出演していた佐藤千夜子が流行歌にすることを古賀に勧めた。その年の秋、アンドレス・セゴビアの演奏に感銘し触発された古賀政男は『影を慕いて』の完成を急ぐ。当時の人気歌手・佐藤千夜子が『影を慕いて』を1930年(昭和5年)10月日本ビクターでレコーディングし、翌年1月新譜で発売されたが、このレコードはあまり売れなかった。ちなみに『影を慕いて』は『日本橋から』のB面だった。このレコードを浅草・鳥越の斉藤楽器店で発見した人物が、日本コロムビアレコードの営業マン伊藤正憲だった。
この曲が一世を風靡するには、藤山一郎(声楽家・増永丈夫)の登場を待たなければならなかった。藤山一郎が古賀の芸術を開花させたという大きな功績を残した。正統な声楽的解釈にもとづくクルーン唱法でこの曲を歌い、古賀政男のギター歌曲の魅力を伝えたのである。
『影を慕いて』は、1932年(昭和7年)3月新譜で日本コロムビアから改めて藤山一郎の歌唱によって発売され、満州事変、五・一五事件など暗い世相を背景に人々の心をとらえ流行した。まさに昭和という時代の「翳」を象徴していた。
その後もこの曲は、美空ひばり、森進一など多くの歌手によって歌われ、それぞれの歌手が曲の哀愁・感傷(センチメンタリズム)を個性的に表現してきた。