帝塚山
帝塚山(てづかやま)は、大阪府大阪市阿倍野区南西部から同市住吉区北西部にかけての地域の名称。
概要
上町台地の西端に位置する。住居表示としては、阿倍野区帝塚山、住吉区帝塚山東・帝塚山中・帝塚山西となっている。また阿倍野区北畠の南部、万代(阿倍野・住吉両区にまたがる)など周辺地域についても、帝塚山と認識されることがある。地域は住宅地となっている。地名は、この地にある帝塚山古墳に由来する。 高級住宅地としての帝塚山は特に帝塚山、帝塚山中を指して言う事が多い。
地理
地域の西側には粉浜および玉出が、北西には岸里および天下茶屋が、北には北畠が、それぞれ隣接している。
交通の便としては、南海高野線が地域の西よりを南北方向に走り、帝塚山駅が設置されている。また阪堺電気軌道上町線が熊野街道上の併用軌道を南北に通っている。東西方向には鉄道の便はないが、道路として南港通が通り、阿倍野区・住吉区の境界となっている。
地域にはかつて、大阪府女子専門学校(のちの大阪女子大学)や帝塚山学院短期大学、関西外国語短期大学(現在の関西外国語大学短期大学部)といった高等教育機関が設置されていたことがあったが、これらはいずれも郊外移転をおこなっている。
なお、奈良の「帝塚山」については、帝塚山学園(奈良)の発展とともに周辺宅地が開発された際、大阪の帝塚山にちなんで命名されたものであり、学園前駅・富雄駅・帝塚山学園を参照されたい。
地価
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、帝塚山中2-2-12の地点で34万5000円/m2となっている。住吉区内で最も地価が高い。[1]
歴史
一帯は、大正時代までは住吉郡(のち東成郡)住吉村に属していた。かつて一帯は原野だったが、明治時代になって住宅地としての開発が進められた。住吉村常盤会が編集した『住吉村誌』(1927年)によると、村では北畠・帝塚山界隈を「高級住宅地として開発した」と自負するような記述が見られる。現在も一帯は古くからの高級住宅地の面影を残している。
また大正時代には、大阪府女子専門学校や帝塚山学院といった教育機関が当地に開設されている。
住吉村は1925年に大阪市に編入され、住吉区となった。その後1943年には、大阪市の分増区により、住吉区のうち都市計画道路(現在の南港通)以北が新設の阿倍野区となった。