巽聖歌
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巽 聖歌(たつみ せいか、1905年2月12日 - 1973年4月24日)は、日本の児童文学者、歌人。
本名:野村 七蔵(のむら しちぞう)。岩手県紫波郡日詰町(現在の紫波町)出身。紫波町の名誉町民。童謡「たきび」の作詞者として知られる。童謡雑誌「赤い鳥十月号」に巽聖歌のペンネームで発表した詩(少年詩)「水口」が北原白秋に絶賛され、「赤い鳥」の常連投稿者となる。昭和2年、米人の家庭教師として久留米にいき、4年、白秋の勧めで東京都日野市に移住。北原白秋に師事し、佐藤義美・与田凖一と並び称された。「赤い鳥」出身の童謡詩人・「多磨」出身の歌人として、童謡・少年詩・近代短歌の歴史の上に業績を残した。昭和16年、第2回児童文化賞受賞。短歌においては、持田勝穂、木俣修、宮柊二、玉城徹の同門に当たる(白秋没後、玉城徹を指導)。また、出身地である紫波町立日詰小学校の校歌をはじめ、全国的に大変多くの校歌の作詞をしている。1972年、日本児童文学者協会名誉会員。妻は洋画家の野村千春(昭和7年9月に結婚)。長男の名前「圦彦(いりひこ)」、長女の名前「やよひ」は北原白秋の命名。[1]教育学者の周郷博は義弟(義妹の夫)。
作品リスト
- 「たきび」
- 「海は呼んでいる」
- 「おそらはあおく」
- 「かぜにおうちが」
- 「つばめのゆうびんやさん」
- 「夜明けの星」
- 「あさがおすった」
- 「ひろばのうた」
- 「ミツバチさんでも」
- 「朝の歌」
- 「キャベツのお山」
- 「りんごとみかん」
- 「うんどうかいのうた」
- 「ぼくは技師」
- 「せみを鳴かせて」
- 「流れゆくもの」
- 「アンデルセンを讃える歌」
- 「風」
- 「校庭の木々は」
- 「コロポックル」
- 「地下鉄工事」
- 「月よのがん」
- 「とりいれ」
- 「ぬげよ上衣を」
- 「野ぜり」
- 「冬の夜」
- 「蜜柑」
- 「仙台市立上杉山中学校 校歌」
- 「八王子市立第四小学校 校歌」
参考文献
- 『巽聖歌作品集』上下 巽聖歌作品集刊行委員会 1977年
- 内城弘隆『ふるさとは子供の心 巽聖歌の詩と生涯』(CD付)どっこ舎/ツーワンライフ 2007年
- 「たきび」の詩人巽聖歌生誕100年-1
- 「たきび」の詩人巽聖歌生誕100年-2
- 「たきび」の詩人巽聖歌生誕100年-3