川俣線
|} 川俣線(かわまたせん)は、かつて福島県福島市の松川駅から同県伊達郡川俣町の岩代川俣駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。
改正鉄道敷設法別表第28項により「福島縣川俣ヨリ浪江ニ至ル鐵道」として当路線の浜通り方面への延長も計画されていたが、赤字83線廃止の取組みの一環として1972年(昭和47年)に廃止され[1]、国鉄バスが代替として運転されていた。しかしその後身であるJRバス東北の路線バスも2005年(平成17年)3月31日限りで廃止され、現在は自治体による代替運行が行われている。
路線データ(廃止時)
歴史
- 1926年(大正15年)3月1日 松川 - 岩代川俣間 (12.2km) を開業。岩代飯野・岩代川俣の各駅を新設。
- 1934年(昭和9年)
- 1941年(昭和16年)8月10日 岩代大久保駅を廃止。
- 1943年(昭和18年)9月1日 不要不急線として全線 (12.2km) を休止。岩代飯野・岩代川俣の各駅を休止。
- 1946年(昭和21年)
- 1972年(昭和47年)
駅一覧
全駅福島県内に所在。接続路線の事業者名・所在地名は路線廃止時。
駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 接続路線 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
松川駅 | - | 0.0 | 日本国有鉄道:東北本線 | 福島市 |
岩代飯野駅 | 6.3 | 6.3 | 伊達郡飯野町(現福島市) | |
岩代川俣駅 | 5.9 | 12.2 | 伊達郡川俣町 |
1941年(昭和16年)まで存在していた岩代大久保駅は松川起点7.2km地点に位置していた。
廃線後の状況
岩代飯野駅の跡地は国鉄バスの自動車駅「飯野町駅」(1992年無人化)が設置され、福島交通の立子山・医大経由福島駅東口行きと(渡利バイパス経由)福島駅東口行き(ジェイアールバス東北船福線廃止代替)、川俣線の廃止代替バス(自治体バス、下記参照)が発着する。2005年に駅跡に建てられていた飯野町駅待合室は取り壊され、簡易な屋根付きベンチが設置されている。現在は、敷地に「いいの交流館」が建てられている。
飯野町公民館敷地脇には川俣線で使用されていたのと同形式の蒸気機関車C12形が静態保存されている。
岩代川俣駅の跡地は記念碑と「元川俣駅資料館」が建てられており、資料館の方は集会所となっている。
現在の松川駅 - 岩代飯野駅間の廃線跡は、ほとんどが未整備であり、阿武隈川に架かる鉄橋の解体などで歩行困難な箇所もある。岩代飯野駅 - 岩代川俣駅間は、全て2車線の道路に整備されている。川俣町内が一部町道である他、国道114号(川俣バイパス)、福島県道39号川俣安達線になっている。
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国鉄松川駅付近。鉄道廃止から3年経過しているが、線路跡を判別することが出来る。(昭和50年度国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成)
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松川駅構内。川俣線の列車は白い柵がある駅舎側のホームから発着していた。
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岩代川俣駅跡に建てられた記念碑
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岩代川俣駅跡に建てられた元川俣駅資料館
廃止代替バス
廃止直後から国鉄バスによって代替運行が開始され、JRバス東北に引き継がれたが利用者の減少から廃止され、現在は福島市・川俣町の2市町の代替バス(カネハチタクシー)が運行されている。
運行経路
松川駅 - 飯野町 - 川俣町 - 川俣高校前(JRバス川俣車庫前)
沿革
- 1972年(昭和47年)5月14日 - 国鉄バス川俣線開業。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が継承。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 自動車事業分割によりJRバス東北に譲渡。
- 2005年(平成17年)4月1日 - JRバス川俣線が前日運行分をもって廃止。川俣町飯野町福島市自治体バス「川俣松川線」代替運行開始。
- 2006年(平成18年)10月1日 - 飯野町 - 川俣高校前間を増便(福島交通医大・立子山経由川俣線の短縮に伴う)。
- 2008年(平成20年)7月1日 - 飯野町と福島市の合併により、川俣町福島市自治体バスとなる。
脚注
外部リンク
- 川俣線跡 - かつての路線跡の散策レポート
- ↑ 1.0 1.1 日本国有鉄道コンピューター部『鉄道要覧 昭和48年度』、日本国有鉄道、1975年1月20日、p280。
- ↑ 『鉄道省年報. 昭和10年度』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)