寺越友枝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

寺越 友枝(てらこし ともえ、1931年 - )は、1963年(昭和38年)5月に行方不明になり、1987年(昭和62年)1月に北朝鮮で生存が判明された寺越武志の母親。

寺越武志の生存が判明した1987年1月以降、当初は数年に1度、近年は年に数回の割合で頻繁に訪朝している。2009年1月の訪朝で50回、2013年4月の訪朝で65回に達した。13年4月以降は訪朝していない。北朝鮮への旅費は清掃員として得た給金などを充てている。周囲の人からは「度々訪朝することで北朝鮮の外貨獲得に貢献している」、「北朝鮮に洗脳された」などと陰口をたたかれた。しかし友枝は「北朝鮮に媚びているのではなく、これまでできなかった親らしいことを、今しているだけです」と反論している。著書に「北朝鮮にいる息子よ、我が胸に帰れ」がある。拉致被害者家族会に参加していたが、武志が自身の拉致を否定したため会の活動から離れた。

夫の寺越太左エ門(1921年生まれ)は武志と再会した後、2001年7月に訪朝した際そのまま北朝鮮に留まり、平壌市内で武志一家と生活していたが、2008年1月、平壌市の武志宅にて86歳で死去した。

関連項目