宮下昌己

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テンプレート:Infobox baseball player 宮下 昌己(みやした まさみ、1965年1月4日 [1]- )は、東京都調布市出身の元プロ野球選手投手[1]

来歴・人物

調布市立神代中学校では荒木大輔と同級生。日本大学第三高等学校を経て、テンプレート:Byドラフト6位で中日ドラゴンズに入団[1]テンプレート:Byには40試合[1]テンプレート:Byには50試合に登板した[1]がその後は登板数が減少。テンプレート:Byオフに広橋公寿小川宗直との交換トレードで、大宮龍男と共に西武ライオンズに移籍したが、西武では一軍登板のないままテンプレート:By限りで現役引退[1]

最速で154km/hのストレートと星野仙一を震えさせるほどの気迫がトレードマークだった[2]

引退後は吉祥寺飲食店を経営して軌道に乗っていたものの、入居していたビルが住専がらみの物件だったため立ち退きを余儀なくされ、その後移転先が見つからず閉店する[2]。その後は派遣社員として様々な企業に勤務し[1]、現在は調布市で家業の米屋(かつては小売りもしていたが、現在は卸売のみ)を継ぐ傍ら[1]、少年野球チームの東京青山リトルシニアコーチを務める[1]。同チームでは後に中日入りした赤坂和幸を指導した経験を持つ。また大久保博元が主催する野球塾でも講師を務めている[1]

飲食店をオープンした日、現役時代の監督だった星野仙一がお忍びで店に現れた。宮下は緊張のあまり最初から最後まで直立不動のままだったという。(Sports Graphic Numberの記事より)

1987年6月11日の対読売ジャイアンツ戦(熊本藤崎台球場)で、ウォーレン・クロマティの背中に死球を与えた[2]。その際、クロマティはマウンドに駆け寄りながら、宮下に対し帽子を取って謝るようジェスチャーを交えながら要求。それでも宮下は帽子を取らなかったため、マウンド上でクロマティは宮下の左顎へ右ストレートパンチを放つという暴力事件が当時話題となった。この時、宮下はなぜ帽子を取らなかったかというと、(本人曰く)「あの時、実は狙っていました。でも故意とバレるような投球はしていません、こっちもプロですから。おそらくクロマティだけは空気を読んでいたのでしょう。それに自分も殴られ慣れていますから」と言っていた。また奇しくもこの日は、広島衣笠祥雄ルー・ゲーリッグ(元ニューヨーク・ヤンキース)に並ぶ通算2130試合連続出場の偉業を達成した日でもあったのだが、翌日のほとんどのスポーツ新聞が宮下とクロマティの一件を一面にしていたため、衣笠の偉業がとても小さな扱いになってしまった。このことについて宮下は「衣笠さんには『本当にすいませんでした』と頭を下げたいですね」と語っている。

2007年6月17日に開催されたプロレス興行『ハッスル』にクロマティが参戦。上述の一件の縁から宮下も来場し、クロマティの応援をした。これにはクロマティも宮下に感謝していた。また宮下本人も「今度はクロマティとタッグを組みたい」とその時に語っていた。

その後、2013年1月21日に日本テレビ系で放送された「深イイ話しゃべくり007 合体2時間SP」に登場し、ゲスト出演していたクロマティと再会。笑顔で握手を交わし、四半世紀ぶりの"和解"を果たした。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 中日 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 12 2.0 5 0 1 0 0 4 0 0 2 2 9.00 3.00
テンプレート:By2 40 8 0 0 0 3 6 0 -- .333 389 95.2 84 10 27 2 2 73 7 0 41 37 3.48 1.16
テンプレート:By2 50 0 0 0 0 5 3 2 -- .625 449 107.1 121 9 23 1 3 93 11 0 36 36 3.02 1.34
テンプレート:By2 20 0 0 0 0 1 0 1 -- 1.000 155 35.0 41 6 9 0 2 16 4 0 19 16 4.11 1.43
テンプレート:By2 4 3 0 0 0 0 3 0 -- .000 63 15.1 14 1 2 0 0 5 0 0 8 3 1.76 1.04
通算:5年 117 11 0 0 0 9 12 3 -- .429 1068 255.1 265 26 62 3 7 191 22 0 106 94 3.31 1.28
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

  • 初登板:1985年7月30日、対阪神タイガース14回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に6番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初奪三振:同上、8回裏に真弓明信から
  • 初先発:1986年4月27日、対阪神タイガース6回戦(阪神甲子園球場)、5回0/3を2失点
  • 初勝利・初先発勝利:1986年5月5日、対広島東洋カープ5回戦(ナゴヤ球場)、7回0/3を2失点
  • 初セーブ:1987年5月28日、対阪神タイガース9回戦(阪神甲子園球場)、7回裏1死に3番手で救援登板・完了、2回2/3を1失点

背番号

  • 60 (1983年 - 1986年)
  • 16 (1987年 - 1989年)
  • 13 (1990年 - 1991年)

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 1.9 週刊ベースボール2012年5月21日号 P105
  2. 2.0 2.1 2.2 週刊ベースボール2012年5月21日号 P104

関連項目

テンプレート:中日ドラゴンズ1982年ドラフト指名選手