宇部日報

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宇部日報(うべにっぽう)は、株式会社宇部日報社が発行する日本の新聞全国郷土紙連合加盟。

概要

かつて宇部市周辺においては、宇部時報社が発行する宇部時報ウベニチ新聞のほか、最盛期には8紙の地方紙が発行されていた。その後合併や廃刊を経て、宇部時報とウベニチ新聞の2紙(いずれも夕刊紙)のみが残っていたが、2004年(平成16年)3月1日に両者が合併して宇部日報社となり、新たに宇部日報として発行されている。

現在は、山口県宇部市山陽小野田市山口市阿知須地区を中心に発行しており、宇部日報社の本社所在地である宇部市と山陽小野田市の2市および山口市阿知須地区を中心とした地域情報を掲載する。発行は夕刊のみで、日曜祝日が休刊日となっている。ラテ欄は夕方6時から深夜までのテレビ番組表を最終面に、翌朝から翌夕までのTVと発行日の夕方のラジオ表を中面掲載している。

夕刊紙発行事業の他に、新聞折込型のフリーペーパー「サンデーうべ」「サンデー小野田」の発行、ポスティング型のフリーペーパー「サンデーうべ・おのだ」、オンラインマガジン「hoinet(ほいねっと)」の運営等を行っている。

また、2011年より、山口市でポスティング型のフリーペーパー「サンデー西京」と、新聞折込型フリーペーパーの「週刊まちコミ」を発行している。

歴史

  • 1912年(明治45年)7月15日 - 宇部村(現・宇部市)で紀藤閑之介宇部時報を創刊。当初は月刊紙で、今日のフリーペーパーのように、購読料・送料などは全て無料(紀藤の個人負担)だった。
  • 1914年(大正3年) - 上郷与吉と脇順太が新聞発行に協力。
    • 9月25日 - 紀藤閑之介が社主、脇順太が社長となって法人を設立し、有料紙となる。
  • 1920年(大正9年) - 自社印刷を開始。
  • 1926年(大正15年)7月21日 - 日刊紙に転向。
  • 1932年(昭和7年) - 脇順太の死去に伴い、その夫人・脇タキが2代目社長に就任。当時、新聞社としては珍しい女性社長だった。
  • 1939年(昭和14年) - 脇タキの死去に伴い、脇昂が3代目社長に就任。
  • 1941年(昭和16年) - 太平洋戦争に伴う新聞統廃合令で「関門日日」(後に「関門日報」「防長新聞」とも)に改名・統合される。
  • 1945年(昭和20年)7月2日 - 宇部市での空襲で社屋が被害にあう。
  • 1946年(昭和21年)2月1日 - 脇昂、藤井清によって宇部時報がタブロイド判で復刊。
  • 1949年(昭和24年)
    • 5月 - 脇昂が代表取締役となって株式会社化。紙面が現在の大きさとなる。
    • 10月15日 - 宇部時報記者・編集局長の藤井清とその友人らが中心となり、「日本一小さな新聞」ウベニチ(後のウベニチ新聞)が週刊紙として創刊。紙名は「宇部の日曜新聞」という意味から付けられた。当時は、宇部市近郊において宇部時報や夕刊新宇部など8紙が発行されていたほか、本社所在地である宇部市の琴芝駅通り周辺には朝日新聞、毎日新聞、中国新聞、西日本新聞などの支局・通信部があり、激戦区となっていた。
    • 12月 - ウベニチ新聞社が株式会社化し、その後ウベニチ新聞が日刊となる。
  • 1950年(昭和25年)
  • 1969年(昭和44年) - 「愛の小箱運動」と題したチャリティーキャンペーンを開始。
  • 1980年(昭和55年)(昭和50年)11月 - サンデーうべ創刊
  • 1993年(平成5年)11月 - サンデー小野田創刊。
  • 2004年(平成16年)3月1日 - 宇部時報社とウベニチ新聞社が合併(手続き上の存続会社はウベニチ新聞社)。社名を宇部日報社に改称し宇部日報を発刊。
  • 2008年(平成20年))11月 - サンデーうべ・おのだ創刊
  • 2011年(平成23年)3月 - サンデー西京創刊

事業拠点

本社
印刷センター
  • 〒755-8557 山口県宇部市寿町三丁目6番1号
支社

外部リンク

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