大原郡

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大原郡(おおはらぐん)は、島根県にあった。人口30,838人、面積247.21km²。(2003年)

消滅直前となる2004年10月31日の時点で、以下の3町を含んでいた。

2004年11月1日、3町が飯石郡三刀屋町・掛合町・吉田村と合併し、雲南市となったため消滅した。

由来

「開墾された広い土地」を意味する「大いなる原」より「大原」と命名されたと伝えられる(『出雲国風土記』)。

歴史

古代

律令制の施行により制定されたと考えられる。郡家は当初屋裏郷にあったが、後に斐伊郷に移転した。

郷里

天平5年(733年2月30日に成立したとされる『出雲国風土記』には8つのの内に24の里があったとされ、以下の郷の記載がある[1]。8つの郷にはそれぞれ3つの里があった。

神原郷
現在の雲南市加茂町神原、宇治、南加茂、近松、立原辺り。
屋代郷
矢代郷から神亀3年(726年)に改名した。現在の雲南市加茂町延野、大竹、大崎、猪尾、岩倉、東谷、加茂中、新宮、砂子原辺り。
屋裏郷
矢内郷から神亀3年(726年)に改名した。現在の雲南市大東町仁和寺、幡屋、養賀、大東下分、大東、畑鵯、遠所、山田辺り。
佐世郷
現在の雲南市大東町飯田、養賀、上佐世、下佐世、大ヶ谷辺り。
阿用郷
阿欲郷から神亀3年(726年)に改名した。現在の雲南市大東町西阿用、東阿用、上阿用、下阿用、岡村、川井、清田辺り。
海潮郷
得鹽郷から神亀3年(726年)に改名した。現在の雲南市大東町田中、新庄、山王寺、須賀、薦沢、南村、小河内、刈畑、塩田、北村、中湯石、金成、清田、篠淵辺り。
来次郷
現在の雲南市木次町木次、新市、寺領、宇谷、西日登、東日登、大東町上久野、下久野辺り。
斐伊郷
樋郷から神亀3年(726年)に改名した。現在の雲南市木次町里方、山方辺り。

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社テンプレート:式内社一覧/header テンプレート:出雲国大原郡の式内社一覧 テンプレート:式内社一覧/footer

近現代

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、屋裏村・加茂村・神原村・木次村・日登村・佐世村・幡屋村・春殖村・阿用村・大東村・海潮村の11村が成立する。(11村)
  • 1891年(明治24年)4月1日(1町11村)
    • 斐伊村が木次村から分立。
    • 木次村が町制施行し木次町となる。
  • 1903年(明治36年)11月6日 - 大東村が町制施行し大東町となる。(2町10村)
  • 1934年(昭和9年)5月1日 - 加茂村・屋裏村・神原村が合併し、加茂町が発足。(3町7村)
  • 1951年(昭和26年)4月1日(3町2村)
    • 大東町・佐世村・幡屋村・春殖村・阿用村が合併し、大東町が発足。
    • 木次町・斐伊村が合併し、木次町が発足。
  • 1955年(昭和30年)3月3日 - 木次町・日登村が仁多郡温泉村と合併し、雲南木次町が発足。(3町1村)
  • 1956年(昭和31年)4月1日 - 海潮村が大東町に編入。(3町)
  • 1957年(昭和32年)5月3日 - 雲南木次町が木次町に改称。
  • 2004年(平成16年)11月1日 - 加茂町・木次町・大東町が飯石郡三刀屋町・掛合町・吉田村と合併し、雲南市が発足、郡より離脱。同日大原郡消滅。
明治22年4月1日 明治22年 - 昭和20年 昭和21年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在
木次村 明治24年4月1日
町制
昭和26年4月1日
木次町
昭和30年3月3日
雲南木次町

昭和32年5月3日
改称 木次町
平成16年11月1日
雲南市
雲南市
斐伊村
日登村 日登村 日登村
仁多郡
温泉村
仁多郡
温泉村
仁多郡
温泉村
大東村 明治36年11月6日
町制
昭和26年4月1日
大東町
大東町
佐世村 佐世村
幡屋村 幡屋村
春殖村 春殖村
阿用村 阿用村
海潮村 海潮村 昭和31年4月1日
大東町に編入
加茂村 昭和9年5月1日
加茂町
加茂町
屋裏村
神原村

関連項目

参考文献

  • 沖森卓也、佐藤信、矢嶋泉 編著『出雲国風土記』 2005年 山川出版社 ISBN 978-4-634-59390-9
  • 関和彦『『出雲国風土記』註論』 2006年 明石書店 ISBN 4-7503-2376-4

注釈

  1. 比定地名は2009年現在のもの。郷域の比定は関(2006)を参考にした。

テンプレート:出雲国の郡