地下式横穴墓
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地下式横穴墓(ちかしきよこあなぼ)とは、地面に竪穴を掘り、そこから更に横穴を掘って地中に墓壙(玄室)をつくり、その中に被葬者を葬る墳墓である。
地上には何らの標示物もなく、田畑の耕作や農地改良の際、偶然発見されることが多かった。最近では地中レーダー探査によって発見されることもある。西都原古墳群を北限に、一ツ瀬川、大淀川、川内川の各流域地帯や、宮崎県中央内陸部から霧島山麓の諸県盆地にかけて分布しており、宮崎県側で約600基、鹿児島県側で約100基が確認されている。特に、宮崎県の最西端の市えびの市地域において、300基以上が確認されている。
副葬品として、武具類が主に出土するが、ここから地下式横穴墓=隼人の墓というイメージが形成されたと思われる。しかし、地下式横穴墓の築造時期(5世紀前半後葉 - 7世紀初頭)と隼人の出現時期(7世紀末)は一致せず、現在では地下式横穴墓と隼人とは関係ないとする考え方が一般的である。