國松孝次
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國松 孝次(くにまつ たかじ、1937年6月28日 - )は、日本の元警察官僚、警察庁長官。静岡県浜松市出身。
人物
前静岡県知事の石川嘉延、トヨタ自動車会長の張富士夫とは、東京大学で共に剣道部に所属した。東大運動会剣道部長。
警察官僚として将来を嘱望され、「国松は長官」と早い時期から警察庁長官就任を有力視されていた。本富士警察署長時代、赤軍派による本富士警察署襲撃事件が起こり署長室に放火されたが、國松は隣の部屋にいて無事で、後日、秦野章警視総監の査問を受けたが、放免された。
警視庁広報課長時代に発生したあさま山荘事件の際には広報担当幕僚として長野県警に派遣され、取材陣の対応にあたった。警察庁長官在籍中の1995年に警察庁長官狙撃事件で一時危篤状態となった。
オウム真理教事件が起こったことで「日本の安全神話の崩壊」などと報道された時期、体感治安という言葉を口癖のように語り、この言葉が浸透した。
宮内庁参与、NPO救急ヘリ病院ネットワーク理事長、損害保険ジャパン顧問、日興コーディアル証券特別顧問・社外取締役、丸紅社外取締役、全日本剣道連盟副会長・顧問、財団法人犯罪被害救援基金常務理事、日本郵船監査役などを務める。
略歴
- 静岡県立浜松西高等学校卒業
- 東京大学法学部第二類(公法)卒業
- 1961年 - 警察庁入庁
- 1969年 - 警視庁本富士警察署長
- 1970年 - 警視庁総務部広報課長
- 1972年- 警視庁公安部外事第二課長
- 1973年- 警察庁警備局外事課付(外務省研修所)
- 1974年 - 在フランス日本国大使館一等書記官
- 1977年 - 警察庁警備局公安第一課理事官
- 1979年6月30日 - 内閣官房長官秘書官事務取扱
- 1980年 - 警視庁警務部参事官兼第一方面本部長
- 1981年8月21日 - 警察庁警備局公安第三課長
- 1982年8月23日 - 警察庁警備局警備課長
- 1984年4月7日 - 大分県警察本部長
- 1985年8月7日 - 警察庁刑事局捜査第二課長
- 1986年8月18日 - 警察庁刑事局刑事企画課長
- 1987年6月16日 - 警察庁警務局人事課長
- 1988年1月22日 - 警視庁公安部長
- 1989年4月1日 - 兵庫県警察本部長
- 1991年1月11日 - 警察庁刑事局長
- 1993年9月10日 - 警察庁次長
- 1994年7月12日 - 警察庁長官
- 1995年3月30日 - 東京都荒川区南千住6丁目の自宅マンション前にて何者かに狙撃され、一時危篤状態(警察庁長官狙撃事件)
- 1997年3月31日 - 退官
- 1998年1月23日 - 特殊法人自動車安全運転センター理事長(-1999年8月31日)
- 1999年9月1日 - 特命全権大使(在スイス)(-2002年12月17日)
- 2003年4月 - 特定非営利活動法人救急ヘリ病院ネットワーク理事長
- 2010年3月30日-警察庁長官狙撃事件時効成立
- 2012年4月1日-宮内庁参与
著書
- 『スイス探訪 - したたかなスイス人のしなやかな生き方』(2003年、角川書店)ISBN 4048838202