唐橋家
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テンプレート:日本の氏族 唐橋家(からはしけ)は菅原在良(従四位上・式部大輔・贈従三位)(1041年 - 1121年)を祖とする堂上家。高辻是綱(正四位下・大学頭)(1030年 - 1107年)は在良の兄に当たる。 正式には鎌倉時代末期から南北朝時代の唐橋有雅(従二位・大膳大夫)(1275年 - 1356年)から唐橋の家名を称した。
唐橋家は菅原氏の嫡流とみなされ、氏長者である北野の長者を多数輩出していた[1]。室町時代には九条家の家司となるが、明応5年(1496年)に九条家の経営に関するトラブルから唐橋在数(正四位下・大学頭大内記)(1448年 - 1496年)が九条政基・尚経に殺害される事態となった。しかし、菅原氏一族からの猛烈な抗議により、九条政基・尚経父子は後土御門天皇の勅勘を蒙ることになり、唐橋家の危機は免れた。だが、この事件が唐橋家衰退のきっかけとなり、同家から氏長者・侍読を出すことはなくなった[1]。
家格は半家。唐橋在豊(1391年 - 1464年)以降、唐橋家は大内記・文章博士・大学頭等を経て、権大納言を極官とした。
江戸時代後期の在家は有職故実の研究に熱心で、元服について記した『冠儀浅寡抄』、笏についての『畢用録』、老人の装束故実をまとめた『宿徳装束抄』、狩衣について記した『布衣群色便蒙抄』など多くの著書がある。
家業は紀伝道。江戸時代の家禄は182石。明治時代以降は子爵。