和田英作

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和田 英作(わだ えいさく、1874年12月23日 - 1959年1月3日)は日本の洋画家。父は和田秀豊、弟は和田秀穂

鹿児島県垂水市和田秀豊の長男として生まれる。田村直臣牧師の自営館に寄宿しながら鞆絵小学校明治学院を経て、東京美術学校で学ぶ。原田直次郎黒田清輝らに師事する。東京美術学校の洋画科が開設された際、助教授に就任するが、まもなく辞任し、同校4年に編入入学し、卒業。1900年(1899年?)文部省留学生として欧州に留学。1903年帰国し、東京美術学校教授となる。

1932年、30年以上校長を務めた正木直彦が辞任した後、東京美術学校校長に就任。1934年12月3日帝室技芸員[1]。1943年文化勲章受章。

多くの後進を育てたが、画風は穏当、保守的である。明治天皇を記念する聖徳記念絵画館のために描かれた『憲法発布式』は歴史教科書でおなじみの作品であろう。また、慶應義塾大学図書館ステンドグラス(原画)も知られている。

脚注

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関連項目

テンプレート:東京芸術大学学長
  1. 『官報』第2378号、昭和9年12月4日。