反証可能性
反証可能性(はんしょうかのうせい、テンプレート:Lang-en-short)とは、科学哲学で使われる用語で、検証されようとしている仮説が実験や観察によって反証される可能性があることを意味する。
科学哲学者のカール・ポパーが提唱。平易な意味では「どのような手段によっても間違っている事を示す方法が無い仮説は科学ではない」と説明される。
目次
意味
ある仮説が反証可能性を持つとは、その仮説が何らかの実験や観測によって反証される可能性があることを意味する。例えば、「明日、太陽が東から昇る」という仮説は、「明日になったが、太陽が東から昇らなかった」という観測事実によって反証されるかもしれない。これに対して、いかなる実験や観測によっても反証されない構造を持つ仮説を反証不可能な仮説と呼ぶ[1]。
あるいは、「私の言っている事はすべて正しい」と宣言した人が居たとする。その人の過去の発言に矛盾する物があれば、この宣言の正しさは否定される。だが、そうした矛盾が見つからなかった(彼が常に一貫した意見を言っている)からと言ってこの宣言が正しいとの証明にはならない。政治家や政治活動をする者の発言も、自己矛盾が無い事は大前提だが、それ自体が正しさの証明になる訳ではなく、特に具体的な政策に関する発言は反証可能性を持っていなければ信憑性に薄い。
反証可能性と仮説
原始命題
原始命題とは、「明日、太陽が東から昇る」「お隣の田中さんは犬を飼っている」などのように、それ自体で意味的に完結した単独の命題である。原始命題は、端的に、反証可能であるか反証不可能であるかのどちらかである。しばしば、日常において科学的と考えられている命題が原始命題として見られると、その命題において反証が可能でない場合がある。例えば、「生物の進化は(すべて)適者生存によるものである」[2]「(すべての)人間の行為は無意識の性的欲求に原因がある」「(唯物論的段階にあれば)共産主義革命がおこる」[3]などである。一見科学的だがそれ自体では反証可能性を持たない仮説は、その仮説の意味内容、すなわち検証の直接的な対象が過去の出来事であったときに多く見られる。
主要仮説 (hard core) と補助仮説 (protective belt)
普通、検証されようとしている仮説は、いくつかの原始命題の論理的な結合を通じて成り立っている。そして、専らそれを検証することが目的であるところの仮説を主要仮説と呼び、その前提や条件となる諸命題を補助仮説と呼ぶ(注*何を主要仮説とし、何を補助仮説とするかはおよそ検証者の任意である)。
例えば、「明日、太陽が東から昇るのを私は見るであろう」という仮説を主要仮説として設定しよう。このとき、検証者は、通常、様々な前提や条件を付加する。具体的に言うと、「明日、雨でないならば」「私が観測を妨害されないならば」などである。さらに、曖昧さを避けるために、「地平線のどの範囲から昇れば東から昇ったと言えるのか」も定義する必要がある。これらが「明日、太陽が東から昇る」という仮説の補助仮説になる。補助仮説の中には、当たり前すぎて検証者が普段意識しないものも含まれる。そして、主要仮説と補助仮説のそれぞれについて、反証可能であるかどうかが判定される。それゆえに、「明日、雨が降らず、かつ、私が観測を妨害されないならば、明日、東から太陽が昇るのを私は見るであろう」という仮説は、「明日、東から太陽が昇るのを私は見る」を主要仮説とし、また、「明日、雨が降らない」および「私が観測を妨害されない」を補助仮説とし、そして、その全ての原始命題について反証可能な一個の仮説であると定められる。
この仮説は論理的な推論であるから、「明日、雨が降らない」および「私が観測を妨害されない」が反証されなかったにもかかわらず「明日、東から太陽が昇るのを私は見るであろう」が反証されたとき、この仮説は正しくないとみなされる。
アドホックな仮説
反証可能性のないアドホックな仮説を補助仮説として追加すると、その理論全体の反証可能性が低下する。これは、A ∧ B ⇒ C という推論が(論理的にではなく科学的に)妥当であるかどうかを判断するためには少なくとも A と B が反証可能でなければならないからである(注*論理学の要請からすれば C も反証可能でなければならないはずだが、しかし、自然科学においては主要命題 C が必ずしも直接的に反証可能であるとは限らない。これは、自然科学においては反証不可能なプログラム仮説を主要命題に組み込むことが認められることに由来する。例えば、進化論の主要命題はこれに属すると考えられる)。
反証可能性の判定の困難さ
ある仮説が反証可能性を持つかどうかを判定することは難しい。次のような実験を考えてみよう。降霊会を開いて霊を呼び出す実験が失敗した。心霊現象に否定的な学者は、少なくとも今回用いた方法(条件)によって霊を呼び出せるという仮説が反証されたと考える。これに対して、心霊現象に肯定的な学者が「霊の実在を疑う者がいたための失敗」と反論する。ここで、もし心霊現象に肯定的な学者が「霊の存在を疑う者が降霊会場に立ち入らず、遠隔のビデオカメラによって撮影するならば、降霊は成功する」と付け加えるならば、この降霊理論は全体として反証可能性を持つものになる。つまり、メインの実験が失敗した後で主張者がそれに補助仮説を付け加えたとしても、その補助仮説が反証可能である限り科学的検証の場に立つことができる。反証可能性が否定されるのは、例えば、「心霊現象は科学的に分析できない」と主張するような場合である。したがって、安易に「この仮説には反証可能性がない」「これはアドホックな補助仮説である」と断定するのは危険である。 テンプレート:Main
上記の類のデュエム-クワイン・テーゼを使用した批判は野家啓一においても展開されているが、ポパーがすでに著作において、反証可能であると反論していることを小河原誠は「批判と挑戦―ポパー哲学の継承と発展にむけて」において示している。
反証可能性と疑似科学
反証可能性を持つ仮説のみを科学的な仮説とみなす科学哲学上の立場を反証主義と呼ぶ。哲学史的に見れば、反証可能性の概念は科学と疑似科学の判定基準として提案された。反証主義によれば、科学理論は反証可能性を持ちつつ未だ反証されていない仮説の総体であると定義される。そして、厳しい反証テストに耐え抜いた仮説ほどより信頼性が高いものとみなされる。反証主義の代表的人物はカール・ポパーである。ポパーはフロイトの精神分析やアドラーやマルクスの理論を反証可能性がないため、科学的ではないと批判した。現在では、疑似科学を反証可能性だけでなく別の要素も含めて特徴付けようとする傾向が強い。テレンス・ハインズは、疑似科学の特徴として、反証不可能性の他に証明責任の転嫁や検証への消極的態度を挙げている。
脚注
参考文献
- ポパー『科学的発見の論理 (上)』大内義一・森博訳、恒星社厚生閣、1971年。ISBN 4769902549
- ポパー『科学的発見の論理 (下)』大内義一・森博訳、恒星社厚生閣、1972年。ISBN 4769902557
また、「反証主義に対する批判」の理解を促すものとして、次の二つが挙げられよう。
- デュエム『物理学の目的と構造』小林道夫・ 熊谷陽一・安孫子信訳、勁草書房、1991年。ISBN 4326100885
- クワイン『論理的観点から』飯田隆訳、勁草書房、1992年。ISBN 4326198877
関連項目
外部リンク
テンプレート:科学哲学- ↑ 反証可能性の概念そのものにはこれ以上の意味がない。反証可能性という概念の存在を認めることと反証主義とを混同してはならない。また、反証可能性の概念は、反証不可能な命題の意味、価値または有用性を排除しない。
- ↑ この論によれば、すでに不適者はすべて生存競争に敗れ死滅していることになるが、理論によれば不適者は現在ただひとつも生存していないことになるため、本当に不適者が死滅し適者のみが生存しているのかどうか検証できない。また、ある種が死滅すれば「不適者だったからだ」生存していれば「適者だったからだ」と無謬の論証が可能となっている。
- ↑ ある社会に共産主義革命がおこれば「唯物的段階にあったからだ」発生しなければ「まだ唯物的段階になかったからだ」と無謬の論証が可能になっている。