関口太郎 (レーサー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
単車男から転送)
移動先: 案内検索

テンプレート:存命人物の出典明記 関口 太郎(せきぐち たろう、1975年12月5日 - )は、東京都府中市出身のモーターサイクルレーサー。

来歴・人物

中学1年から東京都立調布南高等学校1年までミニバイクレースに参戦。16歳で免許を取得してからはロードレースに参戦する。

2001年全日本ロードレース選手権GP250チャンピオン

2002年ロードレース世界選手権(MotoGP)GP250に参戦(Dark Dog Yamaha Kurz)。

2003年、ロードレースヨーロッパ選手権GP250に参戦(EDO Racing)。8戦全勝でチャンピオンになる。特に最終戦(カルタゲナ)は、前年度のチャンピオンが緊急参戦して関口の全勝優勝の阻止を狙ったが、関口は接戦をものにして、モータースポーツの主要な選手権シリーズに於いてほとんど前例がない『全勝優勝』の偉業を達成した。

2004年、再びMotoGP(GP250)に参戦(NC World Trade)。

2005年、カンペテッラレーシング(アプリリア)に移籍。開幕直前に大口スポンサーが音信不通となり、急遽自身の公式サイトから個人スポンサーを募集する事となった。

この事実を知った2ちゃんねるの有志『Team2ch』をはじめとした個人スポンサーが関口を応援。目標金額3,000万円のうち、全体で800万円以上(うちTeam2chで約280万円)の資金を提供。この件で東京中日スポーツ電車男をもじった「単車男」という名前を付け、『単車男に資金を』という見出しで報じた。

開幕前のテストで負傷し、シリーズには後半から復帰。プライベーター上位の10位を2度記録する。

2006年、再びカンペテッラレーシングより参戦。個人スポンサー企画も継続される。

スポンサー活動の一環として、3月27日リアランドレーベルより、萬Z(量産型)他が参加する関口の応援CD「フルスロットル〜TO THE TOP〜」が発売。収録曲の作者全員が著作権管理をJASRACに信託せず、リアランド自体で著作権管理を行う(管理楽曲)事によって、FLASH・REMIX等の自由な創作をやってもらうと共に、浮いた分の著作権料がそのまま関口のスポンサー料となる企画が展開される。

この年も開幕戦で負傷し、シリーズには後半から復帰するも、負傷時の現地での手術が芳しくなく、本来の成績を残せないまま終わる。 シーズン終了後に、芳しくない患部を日本の病院で再手術。

2007年、引き続きカンペテッラレーシングより参戦。3年目となる個人スポンサー企画も継続される。 世界ロードレース選手権第12戦チェコGPで転倒したマルコ・シモンチェリを避けようとしたところ跳ね返ってきたマシンに接触、大きく飛ばされて負傷した。

スポンサー活動の一環として、オリジナルグッズ販売が展開される。

2008年は一旦国内に戻り、「プラスミューレーシング」から全日本ロードレース選手権GP250クラス参戦を発表。[1]

2009年、「チームプラスワン」とジョイントし「Team TARO&PLUS ONE」として全日本ロードレース選手権ST600クラス参戦を発表。[2]

2010年も同一体勢で参戦。

スポンサー活動として、Team2ch時代に関口に提供された応援楽曲を再構成したダウンロード専用アルバムをチーム名義で発売。[3]

2011年もチームは同一体勢。但し従来のST600に加えて「J-GP2」クラスへのエントリーを表明している。(全日本ロードレース選手権2011年間エントリー(superbike.jp)より

2012年はJ-GP2クラスに専念する。チーム、マシンは同一。(superbike.jpより)

好きな食べ物は麺類など。嫌いな食べ物は寿司など(生ものが苦手とのことである)。趣味はバイク(ヤマハ・マジェスティ)、パソコン(スポンサー探しもネットで行ったのは前述の通り)。

略歴

  • 1992年 - 関東ロードレース選手権S80参戦
  • 1993年 - 関東ロードレース選手権NB125参戦
    • SUGOロードレース選手権NB125参戦
    • エビスロードレース選手権NB125参戦
    • 西仙台ハイランドロードレース選手権NB125参戦
  • 1994年 - スーパーカップロードレース選手権イースタンシリーズNA250参戦
  • 1995年 - 全日本ロードレース選手権GP250 ランキング16位
  • 1996年 - 全日本ロードレース選手権GP250 ランキング13位
  • 1997年 - 全日本ロードレース選手権GP250 ランキング11位
  • 1998年 - 全日本ロードレース選手権GP250 ランキング9位
  • 1999年 - 全日本ロードレース選手権GP250 ランキング8位
  • 2000年 - 全日本ロードレース選手権GP250 ランキング4位(1勝)
  • 2001年 - 全日本ロードレース選手権GP250 チャンピオン(2勝)
  • 2002年 - ロードレース世界選手権GP250 ランキング29位(16戦中9戦参戦)
  • 2003年 - ロードレースヨーロッパ選手権GP250 チャンピオン(8戦全勝)
  • 2004年 - ロードレース世界選手権GP250 ランキング31位
  • 2005年 - ロードレース世界選手権GP250 ランキング21位
    開幕直前に大口スポンサーが音信不通となり、急遽個人スポンサーを募集
  • 2006年 - ロードレース世界選手権GP250参戦
  • 2007年 - ロードレース世界選手権GP250参戦 ランキング22位
  • 2008年 - 全日本ロードレース選手権GP250参戦 ランキング4位
  • 2009年 - 全日本ロードレース選手権ST600参戦 ランキング13位
  • 2010年 - 全日本ロードレース選手権ST600参戦 ランキング13位

エピソード

  • 『Team2ch』の本拠であった、2chバイク板の応援スレッドでは、初期の頃から、振り込みを行ったスレ住人の報告に対して、感謝の意をあらわす侍のアスキーアート(AA)が貼られていた。後日このAAはキャラクター化され、シャキーン侍[4]の名で親しまれ、Tシャツ等商品化されている[5]。勿論、その売り上げの利益は関口のスポンサー料に充当されている。
  • 2chバイク板の応援スレッドには、ときどき関口本人が節目の挨拶に書き込みに来る。スレッド住人は彼を「たろさ」と呼び暖かく歓迎している。後に関口が2ch専用ブラウザソフト「ギコナビ」を駆使していることが判明し、専用ソフトを使いこなせる関口は立派な2ちゃんねらーであるということから、スレッドでは敬愛を込めて、GPライダーならぬ「GPネラー」の愛称をつけた。
  • 吉沢明歩のファンであることをファンイベント、インタビュー等で公言。その縁で2010年、全日本ロードレース選手権第6戦(ツインリンクもてぎ)では吉沢がレースクィーンを務めた。

関連項目

外部リンク