千代田形
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テンプレート:Infobox BattleShip 千代田形(ちよだがた)は、幕末期に江戸幕府が所有していた軍艦。幕府軍艦としては初の国産蒸気砲艦で、江戸湾・大坂湾防御のため量産化が計画されていたため千代田「形」と名付けられたが、結局2番艦以降が建造されることはなかった。江戸脱走以降の艦長は森本弘策。
艦歴
- 文久2年(1862年) 小野友五郎(設計)、春山弁蔵(船体構造)、肥田浜五郎(機関)、安井畑蔵(艤装・船具)、澤太郎左衛門(大砲)、赤松大三郎(設計助手)らにより石川島造船所で建造。機関は長崎製鉄所、ボイラーは佐賀藩が、肥田の設計に基づいて製作した。備砲は関口製造所で製造。
- 慶応2年(1866年)5月竣工。
- 慶応4年(明治元年(1868年)) 戊辰戦争勃発。
- 4月11日 江戸城無血開城にともなって新政府軍への譲渡を約束されていたが、海軍副総裁榎本武揚がこれを拒否し、旧幕府艦隊として館山に向かう。
- 閏4月13日 軍艦取扱方勝海舟が館山に行き、榎本と談判の結果、旧幕府艦隊は品川に帰還する。
- 5月29日 長崎丸・太江丸と共に館山に到着。旧幕府脱走兵らを収容して奥州へ運送。
- 8月19日 榎本武揚率いる旧幕府軍艦隊の一艦として品川沖を脱出。
- 9月20日 仙台到着の後、長崎丸と共に庄内藩の援護に向かう。しかし、庄内藩は既に新政府軍に降伏していたため、飛島に停泊するが、風雨で長崎丸が座礁。千代田形一隻では人員を輸送できず、飛島に閉じ込められる。庄内藩からは降伏勧告が出されるが、拒否。
- 11月になり旧幕府軍がチャーターしていたフランス船が飛島沖を通りかかり、同船に人員を載せることで、11月11日、ようやく蝦夷地箱館港に入港。
- 明治2年(1869年)
- 明治21年(1888年)1月28日除籍。除籍後は千葉県に交付、日本水産会社に貸与され「千代田丸」となる。
艦長
- 日本海軍
- 磯辺包義 大尉:明治4年6月25日(1871.8.11) - 明治4年7月23日(1871.9.7)
参考文献
- 石井勉『徳川艦隊北走記』學藝書林、1977年。
関連項目
- 大日本帝国海軍艦艇一覧
- 千代田 [II] (巡洋艦)
- 千代田 [III] (水上機母艦→空母)
- 君沢形