北条 貞房(ほうじょう さだふさ、文永9年(1272年) - 延慶2年12月2日(1310年1月3日))は、鎌倉時代後期の北条氏の一門。通称は大仏(おさらぎ)貞房。父は大仏流の北条宣時。
引付衆、評定衆を歴任した後、延慶元年(1308年)11月20日から六波羅探題南方として赴任している。官位も従五位上、越前守、式部大丞、刑部少輔と昇進している。延慶2年(1309年)12月2日、京都にて38歳の若さで死去。
歌人として優れ、『玉葉和歌集』や『続千載和歌集』には多数の作品が修められている。
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