八木啓代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox Musician テンプレート:宣伝 八木 啓代(やぎ のぶよ、1962年1月13日 - )は、大阪府生まれのラテン歌手作家エッセイストジャーナリスト、音楽コーディネータ、健全な法治国家のために声をあげる市民の会会長。

ラテンジャズ・バンド、ハバタンパ (HAVATAMPA) のリードヴォーカル。声質はソプラノのリリコ・リジェーロ (Soprano lirico-leggero)。(ローマ字で苗字はYagiとなるが、活動地域であるラテンアメリカスペイン語)向けにYaguiとも綴る)

プロフィール

北野高校京都外国語大学イスパニア語学科卒業。在学中、政府交換留学生としてメキシコグァナファト州立大学で学ぶ。留学中、声楽家としての資質を見抜いたオペラのプリマドンナに勧められ、同大学音楽院でオペラとクラシック音楽を学ぶ。また中南米を放浪して各地の音楽を吸収した。この頃、旅行費用を捻出するために、初期の「地球の歩き方」の執筆に参加するなど、「バックパッカーとして伝説的な存在」であったともいう[1]。帰国後フォルクローレのバンドなどで演奏活動を開始。

1980年代末頃からは、東京京阪神京都大阪神戸)、メキシコシティハバナでソロヴォーカリストとして活動、ソロアルバム『心象風景』、そして2年後にメキシコのレコード会社ペンタグラマ(Pentagrama[2], [3])からソロアルバム『SE VIVE ASI』を発表、メキシコ、キューバで「絹の声(Voz de Seda)」という評価を得た。現在は、東京を拠点に、メキシコ、キューバと行き来して演奏活動を続ける。

作家としても、キューバやメキシコなど、ラテンアメリカに関する知識や情報を、マスメディアやミニコミで発表した解説記事やライナーノーツはきわめて多数にのぼり、この分野での著作も多い。"PANDORA REPORT"では、1991年から1995年の間に、パソコン通信ニフティーサーブ(現・@Nifty)上の「市民運動フォーラム」で、当時は珍しかった顔文字を多用した漫画チックな文体に、ブラックなユーモアを込めて、中南米事情(とりわけ、当時バッシングを受けていたキューバ事情)を紹介した。この文章は後に光文社より出版された。尚、この原文は、光文社刊の書籍に収録されなかったものやその後書かれたものも含めて、八木本人のサイトで現在も公開されている。また2010年3月から、ピースボートクルーズに参加した体験を綴った「PANDORA REPORT 南極編」として"PANDORA REPORT"シリーズを自身のブログで再開した[4]

シルビオ・ロドリゲス (Silvio Rodríguez)、パブロ・ミラネス (Pablo Milanés)、カルロス・バレーラ (Carlos Varela) ら、キューバのシンガーソングライターたちや、チリのイリャプ (Illapu) をはじめ、ラテンアメリカの新しい歌(ヌエバ・カンシオンあるいはヌエバ・トローバ - es:Nueva Trova Cubana)の音楽家や文化人との親交は厚く[5]、その人脈と語学力を生かして、チリのアンヘル・パラ(Angel Parra)、アルゼンチンロック歌手、レオン・ヒエコ (León Gieco)、ニカラグアのルイス・エンリケ・メヒア=ゴドイ (Luis Enrique Mejía Godoy) 、キューバのビセンテ・フェリウ (Vicente Feliú) らの日本公演のコーディネーターや共演などもつとめている。

1994年、フェスティバル・デ・ミゲル・マタモロス (Festival de Miguel Matamoros) 第一回国際サルサ(ソン)フェスティバル - 略称: フェスティバル・マタモロソン (Festival Matamoroson en Santiago de Cuba) に、一度限りという約束で、吉田憲司、納見義則らによって再結成され、日本代表として参加したサルサバンド、ハバタンパ(HAVATAMPA)(第2期)に、リードヴォーカルとして参加。ソン・ラテン音楽の本場であるサンティアーゴ・デ・クーバの聴衆に評価された[6]。その結果、ハバタンパは存続することになり、テンプレート:要出典。この時期より、活動の中心を東京に移し、演奏活動、執筆などをすすめる。

その後、アメリカが1989年にパナマを侵攻した事件を現地で取材して執筆した、長編処女小説『MARI』を上梓。また、メキシコの作曲家たちが彼女に提供した曲を中心に録音されたソロ・アルバム『Esta Mujer』(意味は「この女」)をメキシコで発表。

アルバム

  • 1990年 『心象風景』 日本、オフィス ソル・ナシエンテ
  • 1992年 『SE VIVE ASI』 メキシコ、ペンタグラマ[7]
  • 1998年 『HAVATAMPA』 日本、Vira
  • 2002年 『Esta Mujer』 メキシコ、ペンタグラマ[8]
  • 2012年 『Lagrimas』 メキシコ、ペンタグラマ

文献

著書

  • 『禁じられた歌 ビクトル・ハラはなぜ死んだか』晶文社、1991 ISBN 4794950810
    • ビクトル・ハラ年譜:p229~235
  • 『ラテンアメリカ発=音楽通信』新日本出版社、1991 のち『危険な歌 世紀末の音楽家たちの肖像』幻冬舎文庫
  • 『ラテンアメリカくいしんぼひとり旅:お手軽エスニック料理をあなたに』フォーラム・A、1995 のち光文社 
  • 『Pandora report 喝采がお待ちかね』光文社、1996 
    • 『喝采がお待ちかね ラテン的悦楽世界へのご招待』光文社文庫 2章を削って沢木耕太郎との対談を掲載)
  • 『ラテン女のタフで優雅な生き方:Asi como soy:自分のスタイルを求めて』大和出版、1998 ISBN 480470230X
  • 『MARI』幻冬舎、2000 ISBN 4877289690
    • 書き下ろし国際謀略サスペンス小説
  • 『ラテンに学ぶ幸せな生き方』講談社+α新書、2010 ISBN 978-4062726658

共著

  • 郷原信郎との対談「ネット時代の市民が検察を追い詰める」
    • 『検察崩壊~失われた正義』(毎日新聞社、2012年) ISBN 9784620321479 の第3章

評論

  • 1990年 『民主主義を生み出したチリの若者たちの文化』、清風堂書店「講座・青年/第3巻」収録
  • 1992年 『蟻の行進・メキシコ先住民500年目の抵抗』、平凡社「グリオ」収録
  • 2001年 『芸術のグローバリゼーションー音楽分野の産業化の一例を見る』、新評論社「地球村の思想」収録
  • 2008年 「ゲバラの戦いや革命は遺物としての歴史ではない 司令官の夫の傍らで、激動の中心を歩いた妻の記録」(書評紙・『図書新聞』2008年8月9日号掲載、アレイダ・マルチ『わが夫、チェ・ゲバラ』の書評)
  • 2009年 「革命運動とともに歩む『新しい歌』の現在 ラテンアメリカの目覚めをうたう」、季刊『社会評論』スペース伽耶、No.156、2009年1月、<特集1 VIVA! キューバ 革命50年>[2]収録
  • 2009年 「ラテンアメリカ五つの革命を祝う」、季刊『社会評論』スペース伽耶、No.158、2009年7月、巻頭エッセイ p.2
  • 2010年 『グローバリゼーションとワールドミュージック』、文理閣「グローバル世紀への挑戦ー文明再生の智慧」収録

その他

  • 沢木耕太郎『貧乏だけど贅沢』文藝春秋、ISBN 4-16-354820-3
    • 沢木耕太郎の旅をめぐる十の対話に対談収録
  • Mariana Ch., La japonesa Nobuyo Yagui: canta en mexicano.(musico)(Entrevista), Editorial Contenido, S.A. de C.V., 1st Jun 2002, ISBN B0008E36HW (HTML format digital document)

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

  • 「地球の歩き方・メキシコ・中米編 1988年度版」
  • es:Ediciones Pentagrama
  • Ediciones Pentagrama S.A. de C.V.
  • PANDORA REPORT 南極編・その1(八木啓代のひとりごと 2010年3月15日)
  • 「危険な歌」幻冬舎文庫、
  • 「喝采がお待ちかね」光文社文庫、1994年9月22日付「es:Granma (diario)
  • SE VIVE ASI @ Pentagrama
  • Esta Mujer @ Pentagrama