伊集院忠朗

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伊集院 忠朗(いじゅういん ただあき、生没年未詳)は、戦国時代武将島津氏の家臣。子は伊集院忠倉

島津忠良島津貴久に仕えて、島津氏の本家と分家の対立による領国分裂の統一から、伊東氏肝付氏との戦いで活躍した。1554年、忠朗は岩剣城を攻めたが、このとき、忠朗の進言で島津軍は初めて鉄砲を実戦に投入して本格的に使ったという。それらの功績から、1556年まで家老として島津氏の政務を取り仕切ることとなった。

1561年には、肝付兼続との宴席で兼続を巧みに挑発し、いずれはその領土を呑み込もうと考えていた肝付氏との戦端を開いたというエピソードもある。

この忠朗の時代に、伊集院氏は島津氏における地位を確固たるものとしたとされる。テンプレート:Asboxテンプレート:Japanese-history-stub