伊豆能売

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伊邪那岐命の禊ぎによって生まれた神々(『古事記』に基づく) SVGで表示(対応ブラウザのみ)

伊豆能売(いづのめ)は、日本神話に登場するである。

神話での記述

古事記』にのみ登場し、『日本書紀』には登場しない。『古事記』でも出自や事跡についての記述が一切ない。神話中では「伊豆能売」とだけ書かれていて、「神」「命」などの神号はつけられていない。

概要

神道系新宗教では伊都能売神と表記することもある。神名の「イヅ」は「厳」で、斎み清めることを意味する。神名に「メ」は女神です。 神産みにおいて伊邪那岐命黄泉から帰って来た際、黄泉の穢れから禍津日神が生まれた。その禍津日神がもたらす禍(災厄)を直すために、直毘神二柱(神直毘神、大直毘神)と伊豆能売が生まれたとしている。

延喜式神名帳』には伊豆能売を祀ったと思われる出雲国出雲郡の「神魂伊豆之賣神社」が記載されており、同社は伊努神社に合祀されたとされているが、同社の祭神に伊豆能売の名はない。『延喜式神名帳』以外にこの神社について記載した史料はなく、伊豆能売を祀る神社は現存しないことになる。

幕末以降の神道系新宗教の中には、伊豆能売が古代には信仰されていたが後に信仰されなくなった「埋没神」であるとして、新たに信仰の対象にしようとするものもある。

大本出口王仁三郎は1918年ごろ『伊都能売神論』を発表した。また、1926年ごろ、教団内の機関誌『神の国』において、7月号より翌年5月号まで、『伊都能売』と題した連載を行い、伊都能売神の解説を行った。これ以外にも、霊界物語内に伊都能売神の記述が点在してあり、伊都能売神を詠んだ和歌も数点発表している。王仁三郎の弟子で、世界救世教を興こした岡田茂吉は、伊都能売神(伊都能賣神皇)は古代日本の最高神であったが、中国を経由してインドへ渡って観自在菩薩と名乗り、釈迦仏教を伝授し、その後、南中国地方に移って観世音菩薩と名を改めたのだという「逆本地垂迹(神本仏迹)」とも言える説を示した[1]。また、伊都能売大神は金龍となって琵琶湖に潜んでいたとも述べている[2]


脚注

  1. 岡田茂吉全集 著述編 第十巻 文明の創造
  2. 岡田茂吉全集 著述編 第一巻 観音講座第一講座

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