伊号第四〇〇潜水艦
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ファイル:I400 2.jpg | |
艦歴 | |
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発注: | 1942年計画 |
起工: | 1943年1月18日 呉海軍工廠 |
進水: | 1944年1月18日 |
就役: | 1944年12月30日 |
その後: | 1946年6月4日撃沈処分 |
除籍: | 1945年9月15日 |
性能諸元 (竣工時) | |
排水量: | 基準:3,530 t(水上) 6,560 t(水中) |
全長: | 122m |
全幅: | 12m |
吃水: | 7.02m |
機関: | 艦本式22号10型ディーゼル4基2軸7,750馬力(5,843.5 kW) 電動機2基2,400馬力(1,788 kW) |
最大速: | 速力:18.7kt (水上)6.5kt(水中) |
航続距離: | 37,500 浬(水上:14 kt) 60 浬(水中:3 kt) |
安全潜行深度: | 100 m |
兵員: | 157名 |
兵装: | 40口径14cm単装砲 1門 25mm3連装機銃 3基9挺 25mm単装機銃 1挺 533mm艦首魚雷発射管艦首 8門 魚雷20本搭載 四式一号一〇型射出機 1基 |
航空機: | 晴嵐 3機 |
伊号第四〇〇潜水艦(いごうだいよんひゃくせんすいかん)は、第二次世界大戦中の大日本帝国海軍の潜水艦。伊四〇〇型潜水艦の一番艦。正式には伊號第四百潜水艦である。
概要
潜水空母と俗称される本艦は、独創的な構造で3機の特殊攻撃機『晴嵐』を搭載し、かつ、地球一周半分の長大な航続距離を持っており、日本海軍最高の秘密兵器といわれた。この能力は、アメリカ西海岸のアメリカ艦隊への攻撃や、アメリカ本土への細菌攻撃、パナマ運河への攻撃を企図して持たせられたものであったが、山本五十六の戦死や、細菌兵器攻撃に人道的立場から反対した梅津美治郎の存在、また、完成した頃には本土周辺の制海権・制空権すら完全に失われており、本艦が活躍する余地は残されていなかった。
2013年8月にハワイ諸島オアフ島南西沖の海底からテンプレート:仮リンクが伊号第400潜水艦の残骸を発見する。この発見はアメリカ海洋大気庁によって米国国務省と日本の政府関係者に確認され、同年12月2日に公表された。[1]
艦歴
- 1943年(昭和18年)1月18日 - 呉海軍工廠で起工。
- 1944年(昭和19年)1月18日 - 進水。
- 12月30日 - 竣工。連合艦隊第6艦隊第1潜水隊に所属。内海で訓練に従事。
- 1945年(昭和20年)4月 - 大連で燃料補給。
- 1946年(昭和21年)1月 - 佐世保を出港、アメリカ本土に回航し技術調査される。
- 6月4日 - ハワイ近海で実艦標的として撃沈処分
歴代艦長
艤装員長
- 日下敏夫 中佐:1944年9月1日 -
艦長
- 日下敏夫 中佐:1944年12月30日 -
同型艦
脚注
参考文献
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0462-8
- テンプレート:Cite book
1944年8月艤装員着任、竣工後は「伊四〇〇」水雷長。 - 外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9