伊一型潜水艦
伊一型潜水艦(巡潜1型) | |
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伊号第一潜水艦 | |
艦級概観 | |
艦種 | 一等潜水艦 |
艦名 | |
前級 | - |
次級 | 巡潜2型(伊6) |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:1,970トン 常備:2,135トン 水中:2,791トン |
全長 | 97.50m |
全幅 | 9.22m |
吃水 | 4.94m |
機関 | ラ式2号ディーゼル2基2軸 水上:6,000馬力 水中:2,600馬力 |
速力 | 水上:18.8kt 水中:8.1kt |
航続距離 | 水上:10ktで24,400海里 水中:3ktで60海里 |
燃料 | 重油:545トン(伊5は580トン) |
乗員 | 60名(伊5は68名) |
兵装 (伊1~伊4) |
40口径14cm単装砲2門 7.7mm機銃1挺 53cm魚雷発射管 艦首4門、艦尾2門 魚雷22本 |
兵装(伊5) | 40口径12.7cm単装高角砲2門 7.7mm機銃1挺 53cm魚雷発射管 艦首4門、艦尾2門 魚雷20本 |
航空機 | 水偵1機(伊5のみ) |
備考 | 最大深度:75m |
伊一型潜水艦(いいちがたせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦の艦級。巡潜1型(じゅんせんいちがた)とも。
概要
伊号第一潜水艦から伊号第五潜水艦までの五隻が建造された。伊号第一号潜水艦から伊号第四号潜水艦までは同じ設計であるが、伊号第五潜水艦は若干仕様が異なるので巡潜1型改と呼ばれることもある。太平洋戦争(大東亜戦争/第二次世界大戦)においては開戦当初から活躍したが、全艦戦没して終戦時には一隻も残っていない。日本海軍が建造した一等潜水艦(1,000 トンを超える大型潜水艦)のなかで伊号第五一潜水艦、伊号第五二潜水艦(のちの伊号第一五二潜水艦)の次に建造された艦である。
建造
巡潜1型
第一次大戦以前の潜水艦は艦形も小さく、大洋の航海には適さない沿岸型の潜水艦であった。それに対しドイツは通商破壊戦のため水上速力の向上と長大な航続力を持ち、外洋航行能力のある大型の潜水艦が必要とされ、計画された。この大型潜水艦は巡洋潜水艦(略して巡潜)と類別されるようになる。
第一次大戦が終結した時、当時世界最高だったドイツの潜水艦技術を各国は競って取り入れた。潜水艦を艦隊決戦の補助艦艇と位置づけていた日本海軍は当時最大最新の巡潜として計画されたU142型の図面入手を図った。これには訪独した川崎造船所(のちの川崎重工業)の松方社長の努力により実現したと言われている。川崎造船所はまた、ドイツから潜水艦技術者を招いて指導を仰ぎ、技術の習得に努めている。
1923年(大正12年)度の艦艇建造新計画で建造された4隻の潜水艦はほぼドイツのU142型のコピーである(兵装だけは日本のものに改められている)。日本の大型潜水艦はまだ海大型の伊51の1隻が建造中なだけであり、当時の日本の造船技術としては仕方のないことだった。伊1から伊3までの3隻は1926年(大正15年)に竣工し、やや遅れて建造された伊4は冷却機を装備するなど設計を若干改め1929年(昭和4年)の竣工となった。
巡潜1型改
1927年(昭和2年)度予算で1隻のみ建造された伊号第五潜水艦は水上偵察機1機が搭載可能となり、巡潜Ⅰ型改とよばれる。艦橋後方左右に格納筒を1基ずつ設置し九一式水偵を分解格納した。これは日本潜水艦での水上機の初搭載である。兵装に関しては、備砲を12.7cm高角砲2門としている。また無気泡の八八式発射管が装備され、魚雷搭載数は20本となった。
活躍
テンプレート:言葉を濁さない 開戦までの改装は九五式魚雷発射管に改められた程度で参戦している(司令塔を大型化し機銃を装備したテンプレート:要検証範囲)。艦齢10年を過ぎていた(伊1で15年)が24,400カイリ(10ノット時)と長大な航続力があり、ハワイ作戦に5隻とも参加するなど第一線で活動した。その後もソロモン、アリューシャン、インドなど各地に出撃、陸上砲撃(ハワイ作戦)や商船撃沈(インド洋で伊5)、ソロモン方面での潜水艦輸送作戦などで活躍したが終戦をまたず全艦戦没した。
参考文献
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0462-8