伊一六型潜水艦
伊一六型潜水艦(丙型) | |
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伊18 | |
艦級概観 | |
艦種 | 一等潜水艦 |
艦名 | |
前級 | - |
次級 | 伊五二型潜水艦(丙型改1) |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:2,184トン 常備:2,554トン 水中:3,561トン |
全長 | 109.3m |
全幅 | 9.10m |
吃水 | 5.34m |
機関 | 艦本式2号10型ディーゼル2基2軸 水上:14,000馬力 水中:2,000馬力 |
速力 | 水上:23.6kt 水中:8.0kt |
航続距離 | 水上:16ktで14,000海里 水中:3ktで60海里 |
燃料 | 重油 |
乗員 | 95名[1] |
兵装 | 40口径14cm単装砲1門 25mm機銃連装1基2挺 53cm魚雷発射管 艦首8門 九五式魚雷20本 22号電探1基 |
航空機 | なし |
備考 | 安全潜航深度:100m |
伊一六型潜水艦(いじゅうろくがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。巡潜丙型(じゅんせんへいがた)とも呼ばれた。同型艦8隻。伊号第四七潜水艦を除き太平洋戦争ですべて戦没した。甲標的での泊地攻撃、通商破壊に従事し20隻超の商船を撃沈したほか、大戦末期には回天攻撃に利用された。
艦型
当初は乙型潜水艦として建造の予定であったが、水上偵察機と搭乗員の不足が明らかになり、水上偵察機の搭載を廃止した。その代わりに魚雷発射管の数を2門増やし8門とし、また魚雷搭載数を20本に増やし魚雷兵装を強化した。船体は乙型と同じとなる予定だったが、建造を急ぐため伊七型潜水艦(巡潜3型)の線図を流用した。その他主機は甲型、乙型潜水艦と同じものを搭載している。
建造
第三次海軍補充計画(マル3計画)で計画番号S38とし5隻(伊16,18,20,22,24)が建造され、1940年から1941年にかけて竣工した。その後マル急計画で計画番号S38Bとし6隻が計画され、うち3隻(伊46,47,48)が1944年に竣工した。この3隻は計画番号は変わったが船体寸法、兵装等の要目はほとんど同じである。なおマル急計画艦は乙型改1と同様に、内殻板をDS鋼から軟鋼に変更している。
マル追計画で計画された6隻は計画番号S37Dとし、うち3隻(伊52,53,55)が竣工した。丙型改潜水艦とも呼ばれ乙型潜水艦から航空兵装を除いた艦型である。詳細は伊五二型潜水艦を参照のこと。
改マル5計画で40隻の丙型潜水艦の建造が計画されたが、すべて建造取り止めとなった。計画番号S49B。乙型潜水艦の船体で艦後部に機雷敷設設備を搭載する予定であったという。
戦歴
太平洋戦争開戦前に竣工した5隻は甲標的を1隻ずつ後部甲板に積み、真珠湾攻撃に参加した。その後も甲標的で各地の泊地攻撃を仕掛け、また通商破壊戦を行った。ガダルカナル島に米軍が上陸すると各艦ソロモン方面へ進出したが、主に輸送任務に従事し4隻を喪失した。残りの1隻もアリューシャン方面のキスカ島輸送に従事中戦没した。大戦後半に竣工した3隻のうち、伊46はフィリピン方面で戦没、残りの2隻は回天を搭載したが伊48が戦没、残った伊47は戦後米軍により処分された。
大戦中は主として甲標的の輸送や各地への輸送任務に、大戦後半は回天搭載任務に用いられ、自らは目立った戦果を上げることができなかった。充電能力や凌波性に優れていたが、運用に問題があったといえる。
同型艦
参考文献
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0462-8
- 外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9
脚注
- ↑ 乗員数は『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』より。