伊一七六型潜水艦
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伊176型潜水艦(海大7型) | |
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ファイル:I-176.jpg | |
艦級概観 | |
艦種 | 一等潜水艦 |
艦名 | |
前級 | 伊一七四型潜水艦(海大6型b) |
次級 | - |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:1,630トン 常備:1,833トン 水中:2,602トン |
全長 | 105.50m |
全幅 | 8.25m |
吃水 | 4.60m |
機関 | 艦本式1号乙8型ディーゼル2基2軸 水上:8,000馬力 水中:1,800馬力 |
速力 | 水上:23.1kt 水中:8.0kt |
航続距離 | 水上:16ktで8,000海里 水中:5ktで50海里 |
燃料 | 重油:354.7t |
乗員 | 86名 |
兵装 | 45口径十一年式12cm単装砲1門 25mm機銃連装1基2挺 53cm魚雷発射管 艦首6門 九五式魚雷12本 九三式水中聴音機 (九三式探信儀)[1] |
備考 | 安全潜航深度:80m |
伊一七六型潜水艦(いひゃくななじゅうろくがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。海大VII型(かいだいなながた)、または新海大型とも呼ばれ、海大型潜水艦の最後の艦級である。同型艦10隻。事故沈没1隻、戦没9隻。
概要
本艦級の潜水艦は1939年(昭和14年)度のマル4計画で10隻が建造され、1942年(昭和17年)から1943年(昭和18年)にかけて竣工した。計画番号S41。海大VI型とほぼ同寸法である。設計に当たっては運動性能と潜航時間の短縮に留意が払われたといわれる。魚雷発射管は艦尾発射管が廃止され、艦首にすべて集められた。発射管の数は6本で変わらない。また魚雷は九五式魚雷(酸素魚雷)を搭載したが搭載数は12本に減少した。機銃は25mm連装機銃1基を装備している。
戦歴
太平洋戦争中、主にソロモン・ニューギニア・サイパン方面に進出し、通商破壊(商船及びタンカー6隻撃沈)や輸送任務に従事したが1隻が事故で失われ、残りも総て戦没した。
同型艦
- 1943年(昭和18年)5月24日竣工(呉海軍工廠)。1944年(昭和19年)1月16日 グィディアグ海峡にて駆逐艦、魚雷艇と交戦して沈没。
- 1943年(昭和18年)5月10日竣工(横須賀海軍工廠)。1943年(昭和18年)9月3日 ニューヘブライズ方面で米護衛駆逐艦の攻撃を受け沈没。
- 1943年(昭和18年)10月3日竣工(神戸川崎)。1944年(昭和19年)4月28日 四国南方で米潜の雷撃を受け沈没。
- 1943年(昭和18年)10月15日竣工(横須賀海軍工廠)。1944年(昭和19年)6月19日 サイパン付近で艦載機の攻撃を受け沈没。
- 1943年(昭和18年)9月23日竣工(横須賀海軍工廠)。1944年(昭和19年)6月22日 サイパン付近で米駆逐艦らの攻撃を受け沈没。
参考文献
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』光人社、1990年 ISBN 4-7698-0462-8
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年 ISBN 4-7698-1246-9
脚注
- ↑ 九三式探信儀は完成時に装備していない可能性が有る。