京都府道61号京都京北線
テンプレート:Ja Pref Route Sign 京都府道61号京都京北線(きょうとふどう61ごう きょうとけいほくせん)は、京都市北区上賀茂御薗口町を起点に、京都市右京区京北上弓削町に至る主要地方道である。1977年(昭和52年)3月16日に主要地方道へ昇格された。 テンプレート:-
概要
南側(北区・左京区)
雲ケ畑街道、大岩街道とも呼ばれる。御薗橋東詰から坂を下り、上賀茂神社前ロータリーを経て北に伸びる。柊野を縦断する区間は、田畑に混じって新旧の民家が立ち並ぶ生活道路である。概ね一直線に伸び、庄田橋の北で2車線道路、京都府道38号京都広河原美山線(加茂街道)と合流する。
鴨川(賀茂川)に架かる高橋(たかばし)以北は、東海自然歩道とも重なる。家並みが途絶え、やや勾配のある長い坂に差し掛かる。この区間は、車坂(くるまざか)と呼ばれる。惟喬(これたか)親王が小野郷へ向かう折に険阻な坂なので、この地で車を乗り捨てたという伝承があり[1]、高貴な姫君が岩屋山志明院に参拝するにあたり、都から車坂まで牛車に揺られ、車坂からは輿に乗って参拝したともいう[2]。
山幸橋の南で三叉路に差し掛かり、東方向に伸びる府道(市原バイパス)と分岐する。車両通行帯のない道路となり、道路幅員が狭くなる。かつてはここで道が途絶えていた。そのため、雲ケ畑へは車坂から山に入り、峠を越えたという。この先の川沿いの街道は江戸時代に開かれたとされるが、詳細は不明である[3]。
川沿いに道が続くが、幅員は狭く蛇行続きである。「弁ヶ淵カーブ」と呼ばれるこの区間は、かつて1976年(昭和51年)に大雨で寸断され、雲ケ畑地域の住民に被害を与えた[4]。現在は部分的に拡幅工事が行われている[5]。途中に大岩と呼ばれる、その名の通りの大きな岩が東側に現れる[6]。東海自然歩道とも分岐し、やがて市ノ瀬、出合橋を経て雲ケ畑の集落に至る。
真弓、杉阪集落へ向かう持越峠との三叉路を経て、賀茂川の源流、岩屋橋へ着く。ここで岩屋不動尊で知られる志明院へ向かう道と分岐する。岩屋橋を過ぎると民家も途絶え、鬱蒼とした杉木立の中を1車線分の狭い道が伸びるのみである。ハイカーやツーリングで峠に向かう人を除き、交通量はないに等しい。北区と右京区の境界の祖父谷峠附近は、府道が途絶えており、自動車での通行は不可能となっている。木を運ぶための林道があり、徒歩で進むことは可能である。
路線状況
重複区間
- 京都府道38号京都広河原美山線(京都市北区:上賀茂柊谷町 - 上賀茂十三石山)
地理
通過する自治体
接続道路
南側(北区・左京区)
北側(右京区)
通過する峠
沿線の主な施設
南側(北区・左京区)
北側(右京区)
脚注
参考文献
- 『探訪 京都・上賀茂と二つの鞍馬街道 - その今昔』(西村勁一郎)
関連項目
外部リンク
- 京都市建設局
- みちと近畿のショートストーリーコンテスト「道の管理人」:この道路を舞台にした短編小説
- ↑ 『京都の地名検証2』(京都地名研究会編、勉誠出版、2007年)
- ↑ 京都一周トレイルを歩く【5】山幸橋から清滝 京都一周トレイル委員会
- ↑ 貴重な自然と文化を育んだ京都北山
- ↑ 雲ヶ畑小中学校ホームページ 学校の沿革
- ↑ 京都市情報館 主要府道 京都京北線(弁ヶ淵工区)
- ↑ 京都市青少年科学センター 大岩のチャート 2004年(平成16年)3月に、道路の拡幅工事のため、一部が削られた