九鬼隆季
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九鬼 隆季(くき たかすえ、慶長13年(1608年) - 延宝6年5月30日(1678年7月18日))は、丹波綾部藩の初代藩主。
志摩鳥羽藩主・九鬼守隆の三男。織田信長に水軍の将として仕えたことで有名な九鬼嘉隆の孫にあたる。正室は土方雄重の娘、継室は井上正就の娘。子は九鬼隆常(長男)、娘(三枝守輝正室)、娘(秋田季久正室)。官位は従五位下。式部少輔。
父の死後、鳥羽藩の家督をめぐって弟の久隆と争ったため、寛永10年(1633年)3月に丹波綾部に移されて綾部藩を立藩した。寛永19年(1642年)12月30日、式部少輔に叙任。寛文元年(1661年)3月28日、弟の隆重に500石を分与、1万9500石となった。隆季は藩政においては、城下町の建設などに尽力している。
延宝2年(1674年)11月16日、家督を長男の隆常に譲って隠居した。延宝6年(1678年)5月30日、71歳で死去した。法号は空山了本大極院。葬儀は隆季の遺言により、鳥羽の常安寺で行われた[1]。
脚注
参考文献
- 鳥羽市史編さん室 編『鳥羽市史 上巻』鳥羽市役所、1991年3月25日、1126pp.
- ↑ 鳥羽市史編さん室(1991):333ページ