中目黒
- 目黒区東部にある町(住居表示)。中目黒1丁目から5丁目まであり、2014年1月現在の人口は人口は 14,111人[1]。
- 中目黒駅を中心とする一帯の汎称地名。駅周囲の住所は目黒区上目黒であり、「1」はその南東部に位置する。目黒区青葉台や、同東山のそれぞれ一部も広義の中目黒に含まれるテンプレート:要出典テンプレート:要検証。
地理
住居表示としての中目黒
住所としての中目黒は、東急東横線の東側を通る駒沢通りより、更に東側の一帯である。一丁目から五丁目まで存在する。地区の中央を山手通り・目黒川が通っている。
地価
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、中目黒3-14-7の地点で68万3000円/m2となっている。[2]
汎称地名としての中目黒
テンプレート:独自研究 上目黒には目黒区役所があり、目黒区の行政の中心地域となっている。また、中目黒駅周囲再開発が行われ、2002年(平成14年)には上目黒二丁目地区に中目黒ゲートタウン、2009年(平成21年)には上目黒一丁目地区に「ナカメアルカス(中目黒アトラスタワー)」が完成した。
中目黒駅周辺には小規模な飲食店やパチンコ店などが多い。駅周辺のガード下は下町の風情がある飲み屋街だったが、2008年(平成20年)に中目黒駅改良工事と高架橋の耐震補強工事が開始されたことに伴い、全て閉店した。一方、山手通り沿いには中層のマンションや雑居ビルが並ぶが、それらの建物には人気飲食店や芸能事務所の入居などもみられる。
山手通りから離れると、比較的静かな住宅街である。台地上は、諏訪山を中心とする高級住宅地で、古くはフランキー堺をはじめ芸能人ミュージシャンなどが住んでいた。その麓の、元は水田で、のちに中小工場地帯となった地域には、中流サラリーマンや一人暮らしのOLが住むようなマンションが多い。また、もともと軍用地だった東山一帯は官舎、団地が多い。賃貸住宅の家賃は、区内の他地区に比べ若干高い。
防衛庁(当時)移転計画に基づき港区六本木の檜町駐屯地にあった防衛庁本庁舎が市ヶ谷駐屯地に移転するあおりを受け、統合幕僚学校及び陸海空幹部学校は目黒基地へ移駐。
山手通りに沿って目黒川が流れている。川沿い、特に中目黒から池尻大橋駅にかけてには桜並木が整備されており、桜の季節には多くの人で賑わう。近年、川沿いにはカフェ・ファッション・雑貨などの店が増加している。店は比較的小規模ながら、オーナーや店長が若く野心的であり、個性的な店が多かったが、代官山からの回遊性のために、近年は代官山と似た傾向になりつつある。店舗となる物件の少なさ故、家賃が高騰し、徐々に体力のある企業による出店が増えている。
駅前では蛇崩川が目黒川とほぼ直角に合流する。蛇崩川は暗渠になっており川は見えない。合流地点は広場となっている。
もともと、竹の子の一大産地だった碑文谷地区とともに都市近郊農村で、代官山(青葉台)を流れていた三田用水や目黒川での水車による精米製粉業、染色業、その後、三田用水を工業用水とする硝煙製造、ビール製造(のちのエビスビール)などを手はじめに中小工業地帯となった。その後、現東急電鉄による東横線の住宅地としてのブランド戦略が功を奏し、人気の高い住宅地として開発され現在に至る。
ダイエーが1964年(昭和39年)に東京に初出店した際の3店舗のうちの一つが中目黒店で、現在の駒沢通りと山手通りの交差点の北側に立地していた。
地名の由来
旧・荏原郡中目黒村から。上目黒、青葉台、東山は旧・上目黒村である。一帯は現在、略して「ナカメ」と呼ばれることもある。
人口
2014年1月現在
- 1丁目 2,958人
- 2丁目 2,328人
- 3丁目 2,624人
- 4丁目 2,942人
- 5丁目 3,259人
- 合計 14,111人[1]
交通
中目黒駅を通る鉄道は東急東横線および地下鉄日比谷線である。東横線経由では渋谷および横浜方面、日比谷線経由では六本木・霞ヶ関・銀座方面へ直通する。また、山手通り、駒沢通りには、ともに東急バスの路線が通っている。
道路は、山手通り(環状六号線)と駒沢通りが交差する地点にある。また、山手通りの地下には首都高速中央環状線の品川線が通る予定であるが、中目黒地域に出入口設置の計画はない。