賀茂御祖神社
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テンプレート:神社 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社。通称は下鴨神社(しもがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。
目次
概要
賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。両社で催す賀茂祭(通称 葵祭)で有名。
賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれる。八咫烏は賀茂建角身命の化身である。
祭神
歴史
京都の社寺では最も古い部類に入る。社伝では、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したという。また、崇神天皇7年に神社の瑞垣の修造の記録があるため、この頃の創建とする説がある。一説には、天平の頃に上賀茂神社から分置されたともされる。
上賀茂神社とともに奈良時代以前から朝廷の崇敬を受けた。平安遷都の後はより一層の崇敬を受けるようになり、大同2年(807年)には最高位の正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂御祖神社二座」として名神大社に列し、名神・月次・相嘗・新嘗の各祭の幣帛に預ると記載される。弘仁元年(810年)以降約400年にわたり、斎院が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕した。
平安時代中期以降、21年毎に御神体を除く全ての建物を新しくする式年遷宮を行っていたが、本殿2棟が国宝に指定されたため、現在は一部を修復するのみである。
境内
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西本殿(国宝)
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橋殿
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細殿
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供御所
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糺(ただす)の森
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御手洗社
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摂末社
摂社
- 河合神社
- 出雲井於神社 - 式内社「愛宕郡 出雲井於神社」
- 出雲井於神社境内社:岩本社、橋本社
- 三井神社
- 式内社(名神大)「愛宕郡 三井神社」
- 三井神社境内社:諏訪社、小杜社、白鬚社
- 賀茂波爾神社
- 賀茂波爾神社境内社:稲荷社
- 御蔭神社
- 日吉神社
- 貴布祢神社
末社
- 印璽社
- 言社(ことしゃ) - 本殿前の七つの社の総称、大国主命の七つの別名ごとの社で17世紀に造営。十二支の守り神とされる。
- 井上社
- 相生社 - 2本の木が途中から1本に繋がった「連理の榊」と呼ばれるご神木がある。縁結びの神様として有名。
- 愛宕社
- 稲荷社
- 祓社
- 印納社
- 沢田社
- 河崎社
- 賀茂斎院歴代斎王神霊社
主な祭事・行事
- 境内で行われる行事
- 蹴鞠はじめ(毎年1月4日)
- 奉納演武(毎年5月4日・下鴨神社主催、日本古武道振興会共催)
- 下鴨納涼古本まつり(8月中旬・京都古書研究会主催)
文化財
国宝
- 東本殿
- 西本殿
重要文化財(国指定)
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史跡(国指定)
- 賀茂御祖神社境内
その他
舞台となった作品
※発表順
- 映画
- 将軍家光の乱心 激突 (1989年) - 石河刑部が竹千代を救出した後、本陣とした場所としてロケ
現地情報
- 所在地
- 交通アクセス
- 京都市営バス(1・4・205系統)で、「下鴨神社前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
- なお、「下鴨神社前」バス停は本殿に最寄りであるが、西参道となる。糺の森を通る表参道からの参拝や、表参道入口近くの摂社・河合神社への参拝は、上記と同系統の「新葵橋」バス停が近い。
- 駐車場:有り
関連項目
- 神社
- その他
関連図書
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、22頁
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、104-105頁
- 菅田正昭『日本の神社を知る「事典」』日本文芸社、1989年、108-113頁
- 上山春平他『日本「神社」総覧』新人物往来社、1992年、164-165頁
- 『神道の本』学研、1992年、207頁