ワルング語

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ワルング語(わるんぐご、Warrongo)は、オーストラリアクイーンズランド州北東部で先住民(アボリジニ)が話していた言語で、1981年に最後の話者が亡くなり、消滅した。統語的能格性を示すことを除けば、典型的なオーストラリア諸語の一つである。話者の子孫たちを中心にするグループが復活運動をおこなっている。

言語名

この言語の自称は [waɾoŋo] である。この名前は、ラテン文字で War-oong-oo / Waruŋu / Warungu / Warrungu のように書き表され、日本語では従来ワルング語とされていた。ただし、言語復活運動が始まり、2004年に正書法を Warrongo とすることが決まって以来、角田太作は英語では Warrongo、日本語ではワロゴ語またはテンプレート:JIS2004フォントと表記している。

この他に、ハーバート峡谷出身のアレック・コリンズは Gobobarra とも呼んでいた。Gobobarra とは《葉の繁るところの人々(の言語)》という意味であり、ハーバート峡谷のワルング語を指していると考えられる。

系統

パマ・ニュンガン語派に属する。

話者

ワルング語の調査は1960年以降に本格的に始まったが、当時すでにワルング語を流暢に話せる人は少なかった。残っているデータはアルフ・パーマーとアレック・コリンズの2人から得られたものがほとんどである。

アルフ・パーマー (Alf Palmer) は、ワルング語の名前を Jinbilnggay といい、1880年頃にクイーンズランド州マウント・ガーネット付近で生まれた。父はイギリス人、母はアボリジニであった。1918年のサイクロンによって家を失い、パーム島に移ってから、1981年で亡くなるまでそこで暮らした。ワルング語の他に、英語ジルバル語ギラマイ語ワルガマイ語を話すことができた。1964年にはR・M・W・ディクソンが、1971年1972年1974年には角田太作が、彼の協力を得てワルング語の調査を行なった。

アレック・コリンズ (Alec Collins) は、ワルング語の名前を Wolngarra といい、1920年以前にハーバート峡谷のアボリジニの部族の長ワンビノ (Wambino) の息子として生まれた。1963年頃にディクソンが、1970年ピーター・サットンが彼のワルング語を調べた。1974年には入院しており、角田はコリンズとともにワルング語の調査をすることはできなかった。1975年に亡くなった。

参考文献

  • 角田太作 (2009)『世界の言語と日本語:言語類型論から見た日本語』改訂版. 東京:三省堂.
  • Tsunoda, Tasaku (2011) A grammar of Warrongo. Mouton grammar library 53. Berlin: Walter de Gruyter.